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2015/11/10

障害者の「きょうだい」のホンネ|映画「ちづる」上映会にて

11月7日土曜日、Plus-handicapさん主宰のイベント、
ドキュメンタリー映画『ちづる』上映会&トークイベントー障害者と、その家族との向き合い方を考えるーPlus-handicap Theater #1」に、トークゲストとしてお呼びいただきました。

上映会スタート前の時点で既に満席、当日飛び込みの方もいらっしゃったようで、満員御礼なイベントとなりました。

映画「ちづる」は、赤﨑正和さんが、立教大学在学時代の卒業制作として作ったドキュメンタリー映画です。
知的障害と自閉症を併せ持つ、赤﨑さんの妹千鶴さんを取り巻く、赤崎家の日常を垣間見るものです。

実は、私は「ちづる」を鑑賞したのは、今回で2回目で、たまたま当時大学4年生だった私は、立教大学新座キャンパスでの上映会のことを知り、のこのこと足を運びました。
圧倒された気持ちと、言葉に出来ない感想が入り混じり、いわゆる「モヤモヤ」を抱えた状態で帰ったことをよく覚えています。
自分のきょうだいのことを考えているつもりだったけど、考えられていなかった面が、その時に目の前に現れたような気持ちだったのかもしれません。
他の家族のリアルな生活が、想像以上にインパクトがあり、でも憎めないちーちゃんと家族のストーリーが、なんだか微笑ましくも感じました。

後半のトークセッションの冒頭でもお話しましたが、初めて「ちづる」を鑑賞した時、主人公は赤﨑監督自身だなということを率直に感じました。カメラを通して、ちーちゃんへの関わり方が、より近くなっていくように見られて、等身大の自分と重ね合わせてしまいました。
赤﨑さん自身、自分の妹について、周りに話をあまりしないタイプだったからなのか、「どう向けるべきなのか」という葛藤が、前半に見られたように感じていました。その葛藤からのストーリーが、とってもぐっときたのでした。

今回改めて映画を鑑賞してみて、少し観る視点が変わっている自分に気が付きました。今の仕事柄、障害のあるお子さんの保護者の方とお話をする機会を多く頂いているためか、お母さんの視点で物語を追い、赤﨑久美さん(お母さん)の葛藤に、自分も想像力を働かせながら、自分を重ね合わせながら、考えながら鑑賞しました。

左から、プラス・ハンディキャップ代表 佐々木さん、「ちづる」監督 赤﨑さん、わたし

映画を鑑賞したあとから、プラス・ハンディキャップの代表である佐々木一成さんと赤﨑さんと一緒に、障害者が家族にいることをテーマにお話をしました。

まずは映画にまつわることから。
私が「ちづる」で一番好きなシーンは、お母さんと赤﨑さんが喧嘩をするシーン。親の葛藤ときょうだいの葛藤は、似ているようで異なる面が多く、そのお互いの葛藤が対等にぶつかり合うそのシーンは、きょうだいである私からすると、「親も子育てに迷いながら向き合っているのだな」と感じられるのです。
親ときょうだいが、障害のある家族について、それぞれの立場で真剣に向き合えることって、実は意外とないような気がします。
映画が、親子の関係をより深くしたんだなとも感じます。


その後、ご自身も障害者手帳を持つ佐々木さんならではの当事者的目線(あえて「的」と書いています)から、一見ストレートな質問をしてください、ました。
佐々木さんの当事者的に感じる独自の視点と、優しくフランクなお人柄から、私たちも気軽に楽しくお話させていただきました。(特に包み隠すこともないなと思ってお話しました)

きょうだいのことを外に話すということ、きょうだいと自分の「違い」の認知について、家族との生活の有様、さまざまな視点でお話させていただきました。
また、会場のみなさんからもご質問を多くいただきました。時間の関係上、全ての内容に対してお答えすることはできませんでしたが、近いうちに、いただいた質問にブログでお答えできたらなと思っています。

お話の中で強く感じたのは、障害者が家族にいる日常は、決して特異なものではなく、でも現代の人間の生活を語る上では、特異性のある日常なのだということ。
そして、私たち家族は、その特異な日常が、日常すぎて、その感覚をどこまで広く伝えることができ、理解してもらうことができるのか。
その理解が進んだら、もっと誰にとっても生きやすい優しい社会が待っているような気がしました。

今回のトークセッションで、改めてきょうだいの立場独特の共感ポイントを多く実感したと同時に、微妙なところで違いが出てきたりして、自分の立場を相対的に考える機会となりました。

ちなみに、映画を鑑賞していく中で、当日お話しなかったけど強く感じたことがもう1つあったので書き残しておこうと思ったのですが、これは私が自分の家族を撮影するよりも、赤﨑家だからこそ、この映画はダントツおもしろいだろうなと強く感じました。山田家は単純に兄と弟に障害がありますが、2人を1人で追うのはしんどいし、加えて父・母も撮影する負担を想像すると、少しゾッとするというのもありますが(笑)、赤﨑家だからこそ、この映画の価値があるんだなということを実感しました。
赤﨑さんのインタビューでもありましたが、映画を作る段階で、自分の家族に対する葛藤に向き合い、その姿勢が映像に表れ、この映画を心揺さぶる原石なのだと思いました。自分だったら果たしてそこまで家族に対して向き合うことができていただろうか、と帰路で感じたのでした。

ちなみにその後、主催者のみなさんと赤﨑さんとご飯をご一緒したのですが、話題が裏番組的に盛り上がりました。(笑)映画制作の裏話、思春期ならではの様々な悩みなどなど…それはそれは盛り上がりました。内容は秘密!


赤﨑さん、佐々木さん、機会をくれた友人吉本涼くん、どうもありがとうございました!
(吉本くんが終始ニヤニヤしていて、赤﨑さんとの引き合わせに、彼自身が嬉しそうにしてくれていたことが嬉しく、とっても感謝しています!)

<関連書籍>
お母さま久美さんの書籍。映画だけではわからない、幸せな家族のストーリーを知ることができて、おすすめ書籍です。

ちづる- 娘と私の「幸せ」な人生
赤崎 久美
新評論
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<関連記事>

自閉症の妹が、僕に教えてくれたこと。ファインダー越しに写し出される本当の家族の姿とは。

理解出来なくたって、関係することは出来る。障害児と健常児の人間関係づくりから見えてくること。

映画「ちづる」公式ページ

プラスハンディキャップ|赤﨑さんブログ「あにきにっき」

2015/09/03

小林賢太郎『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』を観て、『僕がコントや演劇のために考えていること』を読んで考えたこと。

突然ですが、私が尊敬している人のうちの1人に、小林賢太郎という人がいます。(唐突)

私のラーメンズ、小林賢太郎デビューはとても遅いです。大学生になった頃でした。
私のエンターテイメントへの関心は、完全にいとこの影響を真正面から受けていますが、一番生きている中で全身で楽しんでいるのが、ラーメンズの過去のコントや、小林賢太郎さんのパフォーマンスでした。

苦学生だった私が、彼らのコントを楽しむには映像で楽しむ他なかったのですが、大学院を終え、Collableを初めた2013年、棚ぼたかのように、友人がチケットを譲ってくれました。それが、私の初めての生ライヴでした。(声をかけてくれたお友達に感謝!)

2013年のLIVE POTSUNEN 2013 『P+』を観に行った私は、念願のポツネンに実は暗い会場の中で涙したものです。生は全然ちげーな!!!という衝撃を全身で受けました。あれ以来、もう絶対生で楽しもうと心に誓って、2015年。
といってもその後の公演が、今回の『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』だったので、実質生で観るのは2回目でした。

彼のモノクロの舞台に合わせて私も写真をモノクロにしたドヤ顔

上記が証拠写真です。
といっても、彼のファンとして名乗るには、申し訳ないくらい、長いわけではありませんが、彼のシンプルで優しい笑いの場のデザインに、いつも感銘を受けています。

彼の公演のあとのロビーが、私はすごく好きです。充実したカーテンコールの後、お客さんはわりとすぐに客席を離れていきますが、ロビーでみんな真剣にアンケートに答えている様子を見られます。私はあれにまたじんわりした気持ちになります。混雑を避けてアンケートを客席で書いた私は、物販で見かけた彼の書籍である『僕がコントや演劇のために考えていること』を買うかどうかを一瞬迷ったものの、即決購入しました。今日はその書籍のお話です。
(2013年の私は本当にお金に余裕がなかったので、物販はそもそも手を付けられないと思っていましたが、今は2013年より多少豊かになったこともあり、惜しみなく良い物に投資をしようという姿勢になりました。)


『僕がコントや演劇のために考えていること』は、彼の99の思考がただつらつらと書いてあるシンプルな本です。


早速読みのですが、どれもこれも共感する好きなページばかりだったのですが、今日は1ページ選んでご紹介したいと思います。

『エンターテイメントの役割は「手助け」 』というページがあります。

 エンターテイメントの役割は「人を幸せにする」のではなく、「幸せになろうとする人の手助けをする」ということだと僕は考えています。
 僕の作品を観てくれた方から「元気をもらいました」とか「救われました」なんて言ってもらえることもあります。でもそれは、本人に「元気になろう」とか「何とかなろう」という気持ちがあるから成り立つことなんです。

当たり前ですが、幸せにする、幸せであることを、誰かに押し付けると、それはエンターテイメントではないのだろうと思います。
そして、彼の笑いは、元気づけられると思える要素としての優しさがあります。誰かが傷つくような内容になっていない作品のこだわりがそうさせていると思っています。彼の、笑いの起こる場を優しく創る高度な哲学を尊敬しています。

社会的事業を手がけるNPO法人や団体だって、もちろん同じだろうと思うのです。この活動で、その人が幸せであってくれると盲目的に押し付けてしまうと、適切に届かない。選んでもらう必要がある。選んでもらうには、常日頃、これが適切なのか、より適切な手法はあるのか、を考え続ける必要があるでしょう。笑いにおいても、もっとこっちのほうが面白くなるとアップデートしていくのと同じように。

また、Collableに限って言えば、提供する事業や活動は、楽しい時間でありたいと思っています。なぜなら、楽しい時間は、楽しい思い出として強く記憶されうるものだからです。多様な人と関わる経験が「楽しい」と思える人を増やさないと、きっと「多様性を歓迎する社会」なんていうのは、一部の人の妄想で終わってしまうように思うからです。
一部の人の妄想で終わらないように、私も日々活動を振り返り、学び、精進していきたいと思っています。


エンターテイメントと社会的事業を比べて、違うと思えたことももちろんあります。
私たちは、自分の活動を知ってもらうこと、一歩踏み出せない人に知ってもらう努力を、格別する必要があるなと思っています。なぜなら、その情報すらアクセス出来ない、しにくい人へ、価値を届けようとする場合が多いからです。
その努力があってこそ、でも少しでもしあわせになろうとする人に届けようとすることなのかもしれません。

少々乱暴かもしれないお話ですが、要は「小林賢太郎」という人が生み出す思考、作品が好きだということです。はー、ポツネン楽しかったな。

ちなみに、『「自分ひとりだけが知っている特別なもの」と数万人に思わせる』という章があるのですが、おかげさまで、あいも変わらず事務所では、私がポツネンが面白かったという話をし続けています。
(みんなが共感してくれているかは、別だけどね。小林さんのカーテンコールでの話が頭を離れません。) 


僕がコントや演劇のために考えていること
小林 賢太郎
幻冬舎
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特定非営利活動法人Collable
・Web
・Facebookページ(Facebookでは活動報告をあげています)
 →リンク先から「応援する」をクリック&ツイートorシェアをお願いします♪

2015/08/26

見えない人と落語をどう楽しめるのか|立川志の春さんの落語を聞きに行きました。

先日、立川志の春さんの落語を聞きに行きました。



ミライバでMozilla Japanの赤塚さんが来てくださった際、ご飯をご一緒させてもらって、何を間違えたのか、落語が面白いよ、という話になり、「行くとき声かけます!」と約束していたので、どこかで声かけたいと思い、やっと約束が果たせました。

もともと落語が好きになった、最初の最初のきっかけは、中原先生がブログで書かれていた記事でした。

わしゃわしゃ「子ども」が群れる正月!? : 堤未果(著)「沈みゆく大国アメリカ」と立川志の春著「あなたのプレゼンにまくらはあるか」書評
http://www.nakahara-lab.net/blog/2015/01/post_2328.html

この記事を読んで、その時気づいたら「あなたのプレゼンに「まくら」はあるか? 落語に学ぶ仕事のヒント」をポチっていて、後日読んでいたある日、たまたまCollableの事務局久保田舞(そして落語好き)に、「お昼に淡路町でワンコイン寄席やってるらしいので行きませんか!」と、たまたま声をかけてもらったのが、最初の落語体験で、それから、地味に月1回の頻度で落語を聞きに行くようになりました。

そして今月は念願の志の春さんの落語を聞きに行くことができました。「日比谷Tuesday Night Live火曜落語劇場」という、日比谷図書文化館の地下で、月1行われているものです。
今回の演目は「風呂敷」「だいじなもの」「唐茄子屋政談」。が初めてでも楽しめるものでした。
(帰りに、落語研究会とかやりたいね、なんて話で盛り上がりました。誰かぜひ企画しましょう!)



落語の魅力は様々あります。
師匠に重ねていくためにあえて自分を空っぽにしていく落語家の育て方とその哲学。
落語の由来とされる説話には、いろんな困った人が登場してきますが、そうしたモノの教え(説教)を笑いを使って伝えていくことで、困った人が、ちょっと愛らしくなる落語の優しさなどに、魅力を感じています。
こうした落語の文化醸成のあり方に影響されたのか、現在Collableの組織文化に影響するようになりました。(笑)

語れば長くなりそうなのでやめておきますが、落語の今後の可能性として注目していることとして、見えない人と共有ができる娯楽の1つであること。
落語は見えない人でも楽しめると聞きます。かすかな動き、かすかな声の強弱濃淡などの表現などが実に繊細で、言葉と雰囲気だけで、その様子が、見えなくても脳みその中で描けるそうで、実際に全盲の落語家さんも存在するほどです。
どこまで、同じ楽しみを、笑いを、共有できているのか、その世界を楽しむ瞬間を、あれからずっと考えています。

先日実施した、「まれ美ラボ in Todai|目が見えなくてもアートはみえる?視覚障害者と一緒にアート鑑賞!」もそうですが、耳から入る情報、体感する雰囲気を頼りに、どんな絵を見える人も見えない人も描くのか、それを共有する可能性を、さまざまな角度で共有する楽しみの可能性を、ますます感じているところです。
http://collable.org/marebi-lab

そんなわけで、見えない人が落語をどう楽しむのかが、最近気になるトピックで、視覚障害者と落語を楽しむ会とか本当はやりたいんですが、誰か興味ある人がいたらいいなぁ、なんぞ思っています。
(その後、落語家さんをCollableでもお呼びして、ワークショップできたらいいなぁという妄想までしていますが、まだまだ先のことになりそうですね。)

視覚障害があり、落語が大好きな知人の方が、早速一緒に落語に行きたいと言ってくれたので、「視覚障害者と落語」活動を、じわりじわりと企画したいなと思っています。
いろんな形の「多様性」の楽しみのあり方を、これからも追求したいと思っています。


・特定非営利活動法人Collable
http://collable.org/
https://www.facebook.com/collable

・gooddo:「応援する」をクリックして、応援おねがいします♪
http://gooddo.jp/gd/group/collable


(それから、今回は志の春さんに声かけられなかったけど、ますますファンになりましたし、次回は書籍読みました!とミーハーに声かけたいという欲がでてきました。
また行こうと思っています。)

(ブログが最近書けないのは、新しい場所にお引越しがしたいからなのだと思う。という言い訳…ちゃんとした自分のブログ用ウェブがほしいと思っています。誰か作ってくれぬだろうか…)

2015/07/09

多世代が気軽に集まれる場所を実現するには?|文京区駒込「こまじいのうち」に行って来た!

先日、いつもお世話になっている近所のママと、「こまじいのうち行ってみたいよね」という話になり、予定を合わせて行ってきました。

「こまじいのうち」報告書をいただきました。


Facebookページ|こまじいのうち
https://www.facebook.com/komajii

社会福祉法人文京区社会福祉協議会|地域の居場所『こまじいのうち』
http://www.bunsyakyo.or.jp/volunteer/volunteer_event/v_event_20130807103300/


場所は駒込エリアの、富士神社の近所。

いつも出てくるあのイラストが、「こまじい」本人なのかとおもいきや「こまじい」は「こまごめのおじいちゃんちの略」とおっしゃっていたのが、オーナーの秋元さん。
確かに、秋元さんとイラストを見比べても、どうやら違うらしい。(笑)

当日のこまじいのうちは、モノで溢れかえっていて、玄関先まで雪崩れ込んでいました。
どうやら、翌日にバザーを予定していたとのこと。
1階には近所のおばあちゃまたちがくつろぎつつ、バザーの準備をしていました。
(家中がモノだらけになるほど、人がバザーで売るものを提供しているんだなぁとも思うとすごい)

お家はオーナーの秋元さんが相続されたお家で、昭和の戸建てらしい急勾配の階段や土壁が残っていて、小さなお庭やテラスもあり、昔懐かしい昭和の風景にトリップしたような場所でした。2階にお招きいただき、2階で秋元さんと近藤さんに、少しだけお話を聞きました。

「こまじいのうち」は、最初は高齢者向けに開かれた場所になったらいいなと思いから2013年10月にオープンした地域のゆるーい居場所。気づいたら地域の高齢者だけでなく、こどもたちも来てくれるようになっているようで、秋元さんは最近は近所のこどもたちに「こまじい」と呼ばれているそうです。(笑)1年足らずで3000人以上が訪れているこまじいのうち。小さい子供から、そのお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、大学生などなど、本当に「多世代」が集まっているようです。

秋元さん曰く、高齢者向けの居場所は意外となく、集る場所となると、特に何かプログラムが前提となる物が多くて、自分たちも行くのが億劫になるという人は多いはずとのこと。確かに、「何もしなくてよくて気軽に立ち寄れる場所」というのは、あまりないかもしれません。一方、ただ空間があるだけでは人は集まりませんが、人に集まってもらいたいのであれば、とにかくガチガチに組まれたプログラムを組めば良いというものでもないよな、と改めて気付かされました。それは「誰に集まってもらいたいのか」を考える先に見えてくるのかもしれません。

「地域密着型」実現の壁


地域コミュニティのあり方が薄れてきている中、「地域密着」をうたう活動が増えてきていますが、同時に、世代間交流が生まれない現状があります。例えばこども向けの施設ができても、近隣住民から騒音苦情が来るなども、その場所にいる人たちが相容れない何かがあるなと感じますし、顔が見える関係を作りたくて若い夫婦が自治会に入ったら、排他的な扱いをされるという話も聞きました。世代間に見えない壁はじわじわと高くなっており、「地域密着」にしたいけれど、できない世代間の壁は、ちらほらと見受けられるように思います。

一方こまじいのうちが、こうして安定して運営され、幅広い層から注目をされているのは、主催が「町会連合会」であることは、とても大きなポイントだと感じます。
こまじいのうちの主催は「駒込地区町会連合会」で、駒込地区の町会が連携して主催していることになっています。秋元さんを中心に自治会に親しい高齢者に理解を得ることができていることはとても大きいと感じました。

また、現在は近藤さんがボランティアとして運営に関わり、かわいいお子さんを連れてこまじいのうちに出入りをしています。秋元さんと近藤さんのコラボレーションがあって、子育て世代も気軽に出入りしやすくなっている印象を受けます。(私も、近藤さんが声かけてくれたので、気になって行けなかったところ、足を運ぶ気持ちになりました!)そして大学生の関与があるのも素晴らしいですね。

最後に秋元さんは、駒込地区の雰囲気がこまじいのうちが親しまれる理由の1つ、というようなことをおっしゃっていて、確かに、駒込地区の下町らしい雰囲気が、こまじいのうちを守ってくれている印象があります。こまじいのうちのような、昭和の懐かしさの漂う緩やかな場所が、どの地域にも合うわけではきっとなく、その地域性を考慮して作らなければ、「地域密着型」をうたっても、単なる自己満足になりかねないなと考えさせられました。

多世代が集まる家の実現は難しい

「子どもから高齢者まで、困っている人みんなが集まれる居場所を作ろう!」なんていう考え方では、すぐに限界が来てしまう。
そういう高い志はもちろん否定しないが、それを「ひとつの場」で実現するのは、難易度が高い。
来たい人だけ来ればいいんだ、とざっくりと思い切れればいいのだが、「どんな人でも」と丁寧にやればやるほど、大変になる。
また、そこを利用出来る人数、つまり規模的な限界も当然ある。
▶子どもから高齢者まで? 「地域の居場所づくり」の盲点http://osada.works/ibasyo/

こまじいのうちを見て、この記事を思い出しました。こまじいのうちは、「みんな」という対象を意識しつつ、ゆるやかに場をとりまとめる秋元さんや近藤さんのスタンスがすごくいいなぁと思っています。いや、内部の細かな運営で大変なこともあるかもしれませんが、いろんなところから視察に来るのもうなずけます。
もう少し、秋元さんや定期的に顔を出されてる人のお話を聞きたいなぁと思いました。

第2回ミライバの「いいおかさんちであ・そ・ぼ」とも比較しながら、考えてみたいです。

【開催報告】公開研究会「ミライバ」第2回:地域の子どもたちが集まるコミュニティ
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/2013/09/24/15.html


【追記1】

持ち家が社協さんやいろんな人たちが集まる場になっていることは理想的だと思いつつ、秋元さんが亡くなって以降も、この場所があるとは限らない。そうだ、ここは秋元さんの家だった。
秋元さんが、「自分が亡くなったら、どうなるかなぁ」とおっしゃっていたのも印象的でした。

【追記2】

今回、こまじいのうちの噂はずっと気になっていて、すごくすごく行きたかったけれど、なかなか足を運ぶことができずにいました。私自身も、近藤さんが関わっていることを知れて、「行く」と行動を追い付かせることができたように思います。
そうか、活動も緩い、居場所的な場は、イベントの「場」よりも属人性が強くなるのかもしれませんし、この属人性と場の作り方の関係性、濃淡などについて、もう少し考えたくなりました。


▼参考記事
個人の家を地域の人が集まる場にする。「こまじいのうち」のやり方
http://news.kaigonohonne.com/article/63


2015/02/28

配送した荷物が途中で行方不明になった事件。

いい経験になったのと、実はこういうことは起こりうることがわかり、学びをシェアしたいと思いブログを書いています。(似たような経験した人おらんかと思ってめっちゃ記事を探したので)

先日仕事の関係で、大事な荷物を配送するべくとある運送業者さんに荷物を預けたのだが、予定していた荷物が期日通りに届かないと仕事に支障が出るものだったので、追跡サービスで荷物の状況を追ってみたところ、荷物ルートの途中「調査中」と出ていた。
表記についてどこかに書いてあるわけでもなく「調査中」が何を指しているのかもわからず、しかも長らく表記が変更されない。心配になりお送り先に電話してみると、やはり「届いてない」との事だった。

あまりに心配になり、そのまま業者のサポートセンターに電話をすると、全くつながらず、焦る私。
追跡サービスを見ると、お送りしたい先の近くのセンターの名前は出たので、ここに直接電話したほうが早そうだと思い、電話をしてみた。

女性の方が出て下さり、事情を話した。
「お調べしますね」とおっしゃって頂いて待つこと数分。
「二個口ですよね?」と尋ねられた。
そう、二個口で荷物を出した。
「そうです」と答えると、
「1つは来ているのですが、もう1つが届いてないんですよね」と返答がある

なぜ!?どうして!!( ꒪⌓꒪) ←本当にこんな顔していた気がする

「え、それはなんでなんですか?」と尋ねる私。
業者「それは全くわからないんですねー。」(間のセンターにも問い合わせしてくれたようだけど、それでもわからなかったらしい)
私「ではいつ届くんですかね…?」
業者「それもわからないんですよねー。」

私が荷物を出したほうのセンターのほうにも問い合わせをしてくれたそうだが、「見つかっていない、わからない」ということしかわからなかったそうだ。つまり何も明らかにならなかった…。
ひとまず、翌日の朝8時ごろに最初の荷物が届くそうで、その時間に必ず電話をするようお伝えした。

翌日8時過ぎに電話があり、「ありました!」とのことだった。どうやら2個口のうち1つの荷物が開いてしまい、中身が紛失していないかを確認するために調査していたため、1つお送りできなかったらしい。
でもどうしてそれが翌日の朝、荷物が届いた時にしかわからなかったのかは、さっぱりわからないが、とにかく朝一で届けてくれ、とお話して、無事に事なきを得た。

いやーヒヤヒヤしたよー。見つかってよかった…。

個人的には頭にこなかったわけではないけれど、それを相手にぶつけても仕方ないので、相手には冷静に対応した。(上記のやりとりもかなり簡略化して書いていて、間にはいろいろ突っ込みたいところがたくさんあったのだけど別に書くことでもないので書かない)
それに、いろんな人に相談をしたところ、運送業の労働環境の弊害なのでは、という話も聞いて、なんだか意外と奥深い問題な気がしてきた…。

ちなみにあまりに困っていたら、同じような経験をした方が、その時の対応について教えて下さり、今回は無事だったものの、次回からは荷物を送ったから安心、なんて思わないようにしようと思いました。
みなさんもぜひお気をつけください。

▼荷物を配送するときに気をつけること(忘備録)
・荷物が行方不明になっても、先方から連絡はくれないので、こまめに追跡サービスをチェックするべし。
・本当に紛失した場合、業者によっては補償があるようなので、いつどんな連絡を誰ととったのかしっかり記録するべし。
・対応をしてくれた人の名前をしっかり記録しておくべし。


2015/02/08

2015年もよろしくお願いいたします。

新年初投稿です。
今年の目標の1つに「毎日書く習慣を身につける」という項目を1つ追加したものの
毎日書くどころか今まで何も書いていなかったのを猛省しています。
年明けに振り返る余裕がなかったので、改めてこの1年をさっと振り返ってみたくて新年初投稿をしています。



2014年は、毎日自分がこんなに必死になるとは思っていなかった1年間でした。
2013年は気持ち的にしんどいなと思っていた1年だったけど、
2014年は目の前の日々に追われるしんどさと、明らかに自分の限界を感じ、悔しい思いをし続けた1年でした。そう、私の2014年は「超プレイングマネージャー」。

2015年はこの「超プレイングマネージャー」を脱するべく、日々模索中であります。

もちろん、日々何も対策をしていないわけではなく、「このままではまずい…」と思いながら、改善のためのインプットのスピードをあげつつ、
「Collableが届けたいものを届けるためには、Collableにとってよい環境を創ることが必要だし、Collableにとってよい環境を創るためには、自分のコンディションを整えること」
という意識を実現させるために、試行錯誤した1年でした。みなさんの知恵を借りたい。

ちなみに、試行錯誤をしていく中で、日々の生活習慣も大幅に変え、毎日ヨガをしたりとか、食べるご飯が(中身も量も)変わったりとか、しているせいか、12月に実施したファスティングの影響もあり、体重も落ちています。超快適です。

そして、多くの貴重な機会をいただきながら、自分たちのアイデンティティと相対化させ、Collableというチームが、何を成し遂げたいのか、何を求められているのか、それに答えるために組織をどうデザインするのか…そんなことを日々考えながら、目の前のことに必死になっていたら、気づけば2015年になっていました。

年末にNHKで放映されていた「100分 de 日本史」を、仕事しながら見ていたら(聞いていたら)、鈴木大拙『日本的霊性』の特集が組まれていて、何故か気になり何気なく見ていたのですが、その後かいきギリギリに駆けこむように「リー・ミンウェイとその関係展」を見に行くと、リー・ミンウェイが非常に禅の影響を受けていたことを知り、これはなにかあるかもと思い、年明けは初詣と所要がてら円覚寺に行ってきたり、禅の考え方を改めてスキマ時間で学んでいる今日このごろです。年明けに手に入ったKindleがとても役に立ってます。
(ちなみに最近読んだ本でも、本田宗一郎さんや藤沢武夫さんが禅の影響を受けていることを知ったしこの件についてはまた後日ブログを書きたい)

2014年も、大変有り難い機会をいただき、初めてのことにたくさんチャレンジをした1年でした。
同時に、毎日目の前のことに追われがちになり、周りに迷惑しかかけていないと毎日感じていたし、そんな日々に自分を見失いかけることも何度もありました。
こんな私を温かく見守って下さり、本当にありがとうございます。

今年度の「ピッケのつくるえほん」ワークショップシリーズも終わり、
今月末は保育園にて新しいワークショップの実践です。ムサビのみんなに力を借りて準備中であります。
またご報告するのでお楽しみに!



























(追記:それにしても、ずっと書いてないだけあって、ブログに何を書けばいいのか全然わからなかった。今年は自分のブログ専用のウェブサイトを立ち上げて、過去のブログ記事も全てそちらに移行したいと考えています。)