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2011/02/12

ドキュメンタリー映画「ちづる」とわたし。


「ちづる」という映画を最近観た。
遅くなったけど、感想を載せてみようと試みたけど
全然まとまらないです。
あと主観たっぷりなので、さらっと読み流してください。

この映画のためだけにはるばる立教大学新座キャンパスに足を運んだ。
ヤマガタin立教 http://road2yamagata.blogspot.com/

ヤマガタin立教HPより引用↓

―――
立教大学映像身体学科卒業制作
赤崎正和 第一回監督作品
『ちづる』
2011/HDカム/カラー/70分/1:1.78
プロデューサー:池谷 薫(『延安の娘』、『蟻の兵隊』)

――妹のことをどう説明したらいいか、今もわからない。
だから言葉で伝えるかわりに、カメラを向けることにした。――

自閉症の妹・千鶴・・・。
それまで妹の障害に向き合うことを避けてきた兄は、
一年の撮影を通じて妹との距離を、
また自分自身との距離を計りなおしてゆく。
映画のしずかな展開とともに自身のまなざしの着実な変化を跡付ける、
みずみずしく、やさしい家族の物語。
―――


・映画を見に行った経緯と山田家と近い点

映画を知ったキッカケはTwitterで流れこんできたから。
ただ、それだけじゃなくて、なんか近いなーと思ったフレーズがちらほら見えた。

監督さんは、「以前は、知的障害と自閉症の違いも分からなかった」というし
―妹のことをどう説明したらいいか、今もわからない。
だから言葉で伝えるかわりに、カメラを向けることにした―

という部分も、どちらもシンクロした。

私も、兄弟の事を説明するには、どう説明したらいいかわからない。
でも、彼らのことをどうにか伝えていったり、少しばかり理解してもらうことを考えていた。

911の映画をやってるとき、終わった後ドキュメンタリーをとりたいとか、製作に携わりたい熱が出たんだけど
そのときに、実は真っ先に思いついたのが、家族のドキュメンタリーを撮ることだった。
結局研究活動からのアプローチをする事に決めたから、やめたんだけど。

―――
多分私の兄弟も、ちーちゃん(ちづるちゃん)と同じで
知的障がいと自閉症両方あるタイプで
ちーちゃんほどしゃべらない。

わが山田家の兄はしゃべるというか、叫ぶって感じで
何かを伝えたいときは指を指したり、腕を引っ張ったり、ときどきよくわからん文字を書いたりする。
弟は、必要なとき以外しゃべらない。前よりは知的レベルが上がっている事はわかってはいるのだが。

自閉症と知的障がいがどう違うのかななんて、ちょっと前まで私自身考えた事もなかった。
研究やりたいという気持ちになって、いろいろ調べて、初めて向き合った気がするもの。
今でも向き合いきれてはないと思うし、知らない事は山ほどある。

ひとくくりに「自閉症」と言っても様々で
よく動いてうるさい兄と
おとなしく絵を描いたりPCで動画サイトを見て楽しんだりしている弟と
ひっくるめて説明しろって言われても、姉であり妹である私でも難易度が高い。
映画に出てくるちーちゃんは、ある程度意思を口頭で伝えられるし。

このまとまらない感じ、生きてきた過程、多分通じるものがあるはず。
仲間がいる。

そんな気がした。

・映画の内容に関する事

自分の話はおいといて、実際の映画の中身について書いてみる。
時系列にざっくり振り返りつつ自分なりの感想を挟むという雑な事を試みます。すいません。

5年前、赤崎家のお父さんは、交通事故で亡くなったらしい。
母1人、自閉症の娘と向き合う。

ちーちゃんはどうやら口で意思を伝える事ができるようで、ところどころよくわからんことを言っているようにも見えるが、言葉でのコミュニケーションは割と出来る人のようだ。自分から言葉を発して意思を伝えてくるという点では、その点能力が高い。
ただし、知的障がいもどうやらあるっぽい。高機能自閉症ではない、かな。

ちなみに知的障がいを伴う自閉症をカナー症候群と言うそうです。
うちの兄と弟はカナータイプで、おそらくちーちゃんもカナータイプだと思われます。

ちなみに山田家の場合…
山田家兄:腕を引っ張ったり、何か示すものを指差したりしか意思を伝えられない。普段は叫んだりしてるくせに!笑 こっちが相手の意思を確認しようと思っても、こちらから相手へは伝えづらい。
弟:「お母さん」「さゆりちゃん」と一言声をかけたら「あれ!」「これ!」とか言ってきて、伝わったそぶりをすると「はい」とか言う。


内容に戻ります。

大好きなB級アイドルがもう芸能界を引退したにも関わらず、年賀状を出したちーちゃん。
返事が来ない来ないと気にしていた。
返事は来るわけもないのに、ちーちゃん宛にそのアイドルからお返事が来た。
と思ったら、実はその年賀状のお返しは、お母さんがそのアイドルになりすまして書いた年賀状だった。

そういうことを必要とすることもある。どうしても納得してもらうための裏工作みたいな事。
山田家でもごくたまにある。最近はないけど。多分、他の家庭でもやったことがある家庭はあると思う。
彼らは自分のこだわりが強いので、例えばちーちゃんみたいに返事がこないこないとずっとずっと気にしていることなんて、多分ざらだろうし。
(山田家でいうと、兄はいつも戦隊ヒーローシリーズの5人の色、赤、黄色、青とかの物を持ってないと落ち着かない、毎週ツタヤに行かないとかんしゃく起こすとか)

あと、ユニクロに行きたいちーちゃんが、お母さんの財布からお金を取ろうとして
お母さんと身体をはったけんかをするシーンがある。

わからない、うちの母親はたくさんの本を読んで
たくさんのことを試してみて、学び続けているんだなぁと感じていて
それでも体当たりなこともやってるなーと思うのだけど
ちーちゃんのお母さんのほうが体当たり感があった。がむしゃらっていうか。

そんで、ユニクロのシーンのところで、なんだか複雑な気持ちになってしまって。
最近ではいろいろなケアの事を独学ながら、さらっと漁る程度だけど学んでいたためか
もっとなんかできるやろうに…と思ってしまった。
なんであんなに体当たりなんや…なんであんなに感情的に対抗するんやろうか…みたいな。

それはお母さんの姿に批判しているというわけじゃなくて
もっと楽しく、楽に、生活できるような環境づくりができるのにな、ってこと。
少し前までは、感情が先走ってしまっていたのだけど
最近は冷静に物を見るようになったせいか、客観的にいろいろ言いたくなってしまう。

映画をみた感じ、お母さん楽しんでるっぽいからそれはそれで良いと思うんだけど
映画の中身以上に大変な思いをおそらくしているだろうことはだいたい想像できる。

でも、多分それは、私が兄弟に同じような人がいるからなんだと思う。
そんで、昔から関心があって、さらっとレベルで勉強していたからだと思う。

山田家も実家に帰るといろいろ進化していて
アニキにTEACCHができる職員さんが日中通ってる施設ではついてくれて
歯磨きの仕方の紙が絵付きで洗面所に貼ってあったり
陰ながらそういう努力している部分があって
もはや東京にいる私はついていけてないのだけど。

そんなシーンが印象的だった私は、映画の後のトークセッションでも、話が出たが
主人公は、ちーちゃんではなくて、お母さんだと、そんな気がした。

ちーちゃんは、確かに自閉症なんだろうけど、ふつーの女の子なんだよね。
破天荒な、というか。
気持ちはいつまでも小学生、くらいの。(若すぎ?)

そんで、施設に通いたがってなかったちーちゃんが、ある日デイサービスみたいなところに行く、と言い出したんだけど
結局1日で「行かない」と言い出してしまった。
そして、最後の方で「どうやら自分が『障がい者』であると気づいて困惑し始めている」らしいシーンが出る。
どうやら、養護学校でも不登校だったらしいし、「障がい者」を怖がっていたにもかかわらず、ということらしい。

結局、母と娘はいつまでも寄り添い合って、終わるんだよね。

社会と共存してほしいと思う家庭がきっと多いと思う。だって、親が先立ってしまったあとのことは不安だもの。

でも、そんなこと、ちーちゃんのお母さんは気にしてないように見えた。
いつまでも一緒なのかな、みたいな。

さっきも言ったけど、このお母さんの姿をみて、むしろ、この最後の方の展開をみて、お母さんが主人公だと感じた。
ちーちゃんはお母さんが頼りなんだけど、お母さんこそ、ちーちゃんを必要としてるのかな、って。

わかんない、ここからは勝手ながらの妄想だけど、お父さんが亡くなってから、少しばかりお母さんの中の心境の変化が、ちーちゃんとの付き合い方に影響している気がした。いや、少しばかりならしてるだろうと思う。
お父さんが亡くなったところの描写はない。一瞬の情報だけ。
でも、いつも一緒にいるちーちゃんが、お母さんの支えになっているのかな、って勝手ながら思ってしまった。

そう考えたら、どうでもよくなってしまって。

向き合い始めたんだな、おにいちゃんが。そんな映画。

自分の中でいろんな思いが交差して、混ざり合って、混ざり合えなくて、整理できないでいるんだけど

あの映画を、監督さんの友達がみて、その友達がみて、
関心のある人が見て、
新聞記事を読んだ人が見て
そうやって広がって行けばいいのかな。
身近にそういう人がいることで
何を感じてもらうのかな。
それを知りたい。

なんかそれを知りたくて、あたしも研究分野に足を踏み込む。

広がってくの、怖いけどね。
あたしだったら嫌だもんね。何言われるかわからないから怖いもの。

研究するにもそう。
自分の兄弟がカナータイプの人だと分類されていて
確かに一目会ったら「なんか違う」のは多分容易に分かる。
多分、去年大分カタリバの前夜にうちの実家でBBQやった人たちは感じたと思う。

東京でてきて以来、必要な人にしか、自分の家族のことは話さない事にした。
別に隠していたわけじゃない。言うタイミングがなかっただけ。
でもこれからは、思いっきり見せて行く覚悟である。

まとまらないけど、Twitterで話が流れて来たときに
自分と一緒の人がいる、と直感的に思った。
だからわざわざ1人で新座まで行った。

映画上映後、厚かましく話しかけに行った方がいいかな、と思ったけど
911の上映会やった時に、監督って大変なんだよなーって体感してたからやめた。
質問したけど、なんかガチすぎてしまって、引かれた気がしたし。

あと、どっちみち立教池袋キャンパスでも上映することになったらしくて
新座まで行った自分おつwとか思ったりしたけど
久々に長々と電車にゆられたし新座久々だったので、それそれでアリかな。

そんな感じです。
まとまってなくてすいません。
でも今まとまってたら恐ろしいわ。だからもう書いちゃったし載せちゃう。

久々に客観的に物事あえて見ないように、なんとなく注意したら、なんとなくへたくそな文章になってしまった。
たまにはありよね。そんな感じ。
きっと、私も自分の家族にそんな向き合いきれてないアンバランスな感じなんだと思う。

―――

最近。

*卒論書き終えました。
堀越先生がNPOの研究をやっているせいか、
当日発表資料を作るというだめだめ大学生だったにも関わらず
褒めていただけたのは、きっと奇跡です。

*M0発表会にて発表しました。
今年の4月からお世話になる大学院のゼミで、今後やっていきたい研究活動に関する発表を行いました。
さらには3月の合宿に向けて課題が提示されているため、現在課題のために調べ学習をしております。
緊張した!

*タイに行きたい
3月中頃暇な人、一緒にタイに行こう!いなかったら1人で行く!

さゆ