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2011/12/04

映画「ちづる」のように、私が兄弟にカメラを向けなかった理由。


映画「ちづる」が全国ロードショーになって話題になっている。



「妹のことをどう説明したらいいかわからない。だから言葉で伝えるかわりにカメラを向けることにした。」

劇場公開の予定が決まらないうちにTV、新聞等マスコミでひと際注目を集めている作品がある。立教大学現代心理学部映像身体学科の赤﨑正和が監督したドキュメンタリー「ちづる」。自身の卒業制作として企画されたこの映画は、重度の知的障害と自閉症をもった赤﨑の妹・千鶴とその母を1年に渡り撮り続けた、みずみずしくも優しい家族の物語である。最も身近な存在でありながら正面から向き合えなかった妹にカメラで対話した監督は、映画を撮り終える頃、家族との新しい関係を築きあげている自分に気づく。作者の精神的な成長がいみじくも映像に刻印されてしまった稀有なドキュメンタリーの誕生。“若さ”が成し遂げた映画の奇跡がここにある。(公式HPより)

以前、旧ブログでこんな記事をかいた。旧ブログから記事を現ブログに移行してみた。
ドキュメンタリー映画「ちづる」とわたし。

実は、昨年、一般公開をされる最初のイベントに顔を出した。その時の記事です。
この映画のためだけにはるばる立教大学新座キャンパスに足を運んだのは良い思い出でした。
ヤマガタin立教 http://road2yamagata.blogspot.com/


その時にもこういうことを書いた。
「911の映画をやってるとき、終わった後ドキュメンタリーをとりたいとか、製作に携わりたい熱が出たんだけど
そのときに、実は真っ先に思いついたのが、家族のドキュメンタリーを撮ることだった。
結局研究活動からのアプローチをする事に決めたから、やめたんだけど。」

このときさらっと書き流してしまったので、この映画について改めて書き記すとともに、
どうして私が兄弟を追わなかったのかについて、振り返ることにした。

■この作品の魅力は「難しさ」

この映画の一番のウリ(誤解を招きそうだが)は
自閉症の女の子を、兄弟である監督が追ったということかなと思う。しかも、学生で。
確かに、前例はないのかもしれない。
しかし、これだけではもちろんないと思う。


以前とあるテレビ番組で、ある記者のお子さんが自閉症で、その家族のドキュメンタリー番組が放映されていたのを見た覚えがある。
恐らく30分か1時間くらいのもの。

確かに、あの番組とこの映画には明らかに違いがある。
それは、「ちづる」では撮影している本人が、編集に悩んだことが、映像から伺えるということだと思う。
キレイに収めようとしていないところが、魅力的だと感じる。
一つの「映画」だなあと思う。

さらに「難しさ」という魅力があると思っている。

まず「編集の難しさ」について。
様々なシーンを撮って、編集をする際に、どこをどう繋ぐのか、かなり苦悩したのではないかと思う。
これはただの映画ではない。主人公はちーちゃんであり、お母さんであり、カメラを向ける監督自身なのだから。
自分の家族を人に紹介することにもなる大事な作品である。
下手な編集をして、自分の家族について、誤解を与えまくる編集をしでかすかもしれない。
センシティブな編集へのセンスが求められる。

そもそも、「カメラワークの難しさ」もある。
重度の自閉症の人をカメラで追うことは想像以上に難しい。
私も兄が突然走っていなくなって急いで追いかけることは日常でもあった。
それと同じで、行動が読めないのだ。突拍子もない行動をとることは多々ある。
この映画の中でも、カメラのアングル無視して「追いかけている」んだなという映像が出てくる。

恐らく、私が実家でカメラを回すことになっていたら、「追いかけてる」×2人分というは容易に考えられた。
私の兄と弟は両方、まさに「ちづる」のちーちゃんと同じく、重度の知的障害に自閉症があるのだ。
2人分追うとか想像するだけで疲れる…
もちろん、多動の人ばかりではないのでここは誤解のなきよう。

一部ではカメラワークだのなんだのと作品のクオリティに対する批評もあるらしいのですが、
これはドキュメンタリーを専門で学んだ人も、カメラで追うの、難しいですよ。絶対に。
これを追えたということにまず価値があると思う。
それは、第3者でもなく、親でもなく、兄弟だから追えたとも思える。


■でも、この映画が「できた」理由

恐らく、撮るとなったら撮るし、編集せざるを得ないので、できることはできると思う。
でも1人じゃできない。

映画を観て以降、自分なりのこの映画についてもちょっとだけ調べた。

「ちづる」に出てくる張本人ちーちゃんは、とても絵がうまい。
どうやらこのちーちゃんの作品のサイトをお母さんが作っていたようだった。
この映画の中では、家族の中で、この家族の社会が完結しているように見えて、ただただ不安だったのだけど、全然発信型家族だった。
(映画しか彼らを知らないからそう思ってしまうんだろうな、反省)
そういう意味で、映画を今年のはじめに見たあとから、映画に対する印象は大きく変わった。
出演されているお母さんが本を出されていたのも、最近本屋でたまたま並んであるのを見つけて知った。
家族がこの映画に出演することにちゃんと了解していたんだなということがうかがえた。

あとはやっぱり大学がバックにあることだなと、単純に感じた。
「911の子どもたちへ」で弱かったのは、大学をバックにつけられなかったことなのかなと思う。
学生のマンパワーだけでない発信の力があったのは確かだろうなと思う。
ヤマガタin立教のなかでの上映というのも強みだと思う

つまり、どれだけ広く協力者を集めて、共感を集めて、力を集められるかということなんだと思う。
そして、いかに上手に発信するかということが大事なんだと思った。

まだまだできた要素はありそうなんだけど。すぐ思いつかないのでまた思いついたら書きます。


■私も家族にカメラを向けようと考えた、でも、やめた。

前に書いたとおり、もともとジャーナリストになりたかったこともあって
家族にカメラを向けることは結構前から考えていた。
自分の境遇を生かせるような教育ジャーナリストになるために、家族を撮ることは必然とも考えたこともあった。


ここで前に作った映画の話を挟む。
学生ドキュメンタリー映画「911の子どもたちへ」の撮影が始まって、
映画を撮る、人を追うという仲間の隣で、最後のプロダクションノートを書くために必死で毎日記録をとった。

「911の子どもたちへ」予告編



「911~」の撮影のクランクアップは、遺族の白鳥さんの取材だった。
白鳥晴弘さんは、息子の敦さんを9.11で亡くされた。
敦さんはあの当時、ツインタワーにいたと言われている。

宣伝プロデューサーとしての大仕事の一つであるプロダクションノート。
その一部でこういうことを書いた。

クランクアップは年が明けて2010年1月8日、日本人遺族の白鳥晴弘さんと監督の対談。藤田幸久議員のご縁により実現した対談では、1年前には想像もつかない画がそこに生まれました。本編にはありませんが、実は、別の日本人遺族の方に取材をお願いしたことがあります。しかし「見ず知らずの人にそう簡単に話せるわけがない」と断わられ、監督が数日間落ち込んでいるという場面もありました。よくよく考えてみると当たり前のことかもしれません。「相手の気持ちになっているつもりだったけど、それは『つもり』でしかなかった…」と言っていた監督がとても印象的で、同時に彼の心の変化を見た瞬間でもありました。
それでも遺族の方に話を聞きたいと思い、私たちは白鳥さんに交渉しました。遺族として、過去の悲しみについて見ず知らずの人に話をしたいはずがありません。それにもかかわらず、白鳥さんは亡くなられた息子さんの写真や、実際にアフガニスタンで行っている支援活動の写真などを見せてくださり、それらに対する想いを聞かせてくださいました。その後、監督が日記に書いていたことを一部転載します。
「9.11事件で息子さんを亡くされた白鳥さんを撮影したあと、なんだか空っぽになりました 。日本政府が今も何もしていないのにも関わらず、息子さんの突然の死を受け止めてアフガニスタンの子どもたちのために支援をはじめた白鳥さん 。今も変わらない息子さんへの思いには胸が締め付けられた。クランクアップにも関わらず全く喜べず、何とも言えない気持ちになる。」
9.11事件やイラク戦争についてほぼ無関心だった、ごく普通の大学生だった1年前の彼からは想像もつかないような言葉。このような彼の葛藤も、この映画からにじみ出ていることでしょう。


カメラを向けていた当時の武長直輝は、明らかに見た目は世間知らず(私も人のこと言えないけど)の映画オタクなチャラチャラした(見た目的な意味で)やつだ。(たけちゃんごめん!w)
政治にも関心がなかった。社会にも関心がなかった。そんなやつがこんなことを書いたという事実。

人の生を追うということ。そして、そこから滲み、惑う人の生が、体温が、そこにはあった。
ドキュメンタリーの魅力を身体で感じた瞬間だった。
「その人にカメラを向けること、そして、カメラを持つその人の生も見えるドキュメンタリー」という観点ではこの2つの作品は同じだなと思う。
クランクアップで白鳥さんの姿よりも、武長があの日以降、悩み続けていた事のほうが、私は印象的だった。それくらい、ドキュメンタリーの力は大きいということだ。上映会打ち上げのお酒は美味しくなかった。

私も身近に人を亡くしたあとだったので、より一層強く染み込んだ感覚だった。

私たち自身もドキュメンタリーを公開することで、新しい議論が生まれる。批判もあって当然だった。
でも、そもそも生まれなかった議論を生み出したという意味で、私たちは成果があったと思っている。
ドキュメンタリーの、そういう可能性を想い、私は家族にカメラを向けるかどうするかを考えた。

でも、ドキュメンタリーにはある種のデメリットがあった。
点で終わってしまうということだ。

人の生がある1点で終わってしまう。あのときカメラに収めた貴重なシーンも
カメラを向ける人の想いも、1つの作品として、完結してしまうのだ。
テープは何十本となり、何度も話し合い、みんなで悩んで意見をぶつけて喧嘩したこともそう。
それは永遠に続く、長い長い螺旋階段のようだった。
なのに、80分という、線のような点に収まってしまい、ここに次の螺旋はない。

そして、カメラを持つ「当事者」という人の発信による、その人への共感だけじゃ、私は満足できないんだとも感じた。
共感だけじゃ、次のステップにはいけない。

更に言うと、この映画を伝え続ける人がいない限り、広がらない。そこに仕組みを作ることは難しかった。
私達が人生をかけてこの映画を発信し続けるわけにはそもそもいかなかった。
この映画の場合はさらに、学生という強みを活かして宣伝をする仕組みではあったが、さらにその強みは弱みにもなる。
―私たちはいずれ学生ではなくなるのだから。

私は、紙縒りのように紡ぐようでもいいから、紡いで紡いでゆきたいと思った。
そこに、映画という手法は、私は合わないと思った。
そのかわり、「私が良いと思う場」を紡ぐ。それを生み出すためにまずは「研究する」という案が最浮上した。
これが大学院進学の決め手になった。
大学3年の時に真剣に考えた「大学院」という道を通った先の未来のプランを改めて考えときに、「就活はない。」と思って、4月に就活をやめた。螺旋のように、人を追うために。
そして今に至る。

私は確かに、兄弟児という「当事者」なのかもしれないが、その共感だけじゃだめだというプレッシャーのもとに研究をしている。
「あなたのお兄ちゃんと弟が、自閉症・知的障害者だから、社会的に価値がある。」そう思わるだけならば、それはそれで駄目だと思っている。
私がそういう家庭に育ったからこその経験の目を活かす。そのつもりで研究をしている。
そういう意味で、いろんな場所で起こっている交流及び共同学習の授業やワークショップで、何が行われているのか、何が起こっているのか、私は知る必要があるのだ。

何が起こっているかをもっともっと深く知るためには、カメラだけじゃ、見えてこない。
インタビューだけじゃ、見えてこない。
もう1ステップが、私には必要なのだ。


だから、わたしは、映画を撮らない。



だから、「ちづる」には感謝をしています。
こういう人がいるってことは、少なくとも私は、兄弟として励みになる。

長くなりましたが、みなさんも是非ご覧になって下さい。
ポレポレ東中野で今月は上映しているみたいです。

こんなことを、家に帰ってから考えていた。
まだまだ理由はありそうだし、考えは止まらないので、これが全てではないのでよろしくおねがいしますね。

あー大学院の課題がたくさんあるのに…研究ももっと進めねば!
つまり、がんばらないとね、私。ということ。

ちょっと人生が面白くなってきた感があるので、改めて考えてみました。

追記
怪しい映画でしたが笑 「911の子どもたちへ」予告編動画入れてみました。懐かしいなあ。

2011/11/18

アート活動の可能性:Art×Activity×Workshop



久々にブログを更新したくなったのでします!ご無沙汰しております!笑

先日研究室のブログで自分の研究活動や生活についてちょっと触れました。
山内研究室Blog「一緒に暮らす。」
 http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2011/11/post_340.html

せっかくなので、現状の研究にいたるまでのことを、新しい視点で捉えてみようかなと思います。

単刀直入に言って、アートなもの大好きです!という話をします。笑
研究の話じゃない…と思われるかもしれませんが、実は研究とちょっと関連するのでよかったら読んでくださいな。


私は大きな枠組でいうと「Inclusive Education」について研究していて
もっと小さな捉え方をすると「障害のある子どもとない子どもが一緒に学び合うための学習環境デザイン」について研究しています。
そしてこの2年間は空間・活動・共同体の中の「活動」に注目して研究を進める予定です。

誤解を生じる表現になってしまうかもしれませんが、日本ではInclusive Educationに近い実践を「交流及び共同学習」と捉えられることが多いです。

私は学校内で行われている従来の「交流及び共同学習」は正直つまらないものが多いと思っています。

学校内で準備された中で、他校(いわゆる特別支援学校)の子や、特別学級に所属する子がときどきクラスにやってきて、うわっつらに関わりあうという場面を何度も見てきた。
でも、それはある場所で行われると、驚くほどにその風景はとても魅力的なものに変化しました。


私が小学校(低学年くらい)のころ、私の母親と、兄弟が通っていた養護学校に子どもを通わせていた親御さんたちが、養護学校や、市内小学校の特別学級に通う子どもたちの、夏休みの学びと活動の場として「ひよこサマースクール」という活動を始めました。
一時期は市の予算で活動が支援されるところまで至ったくらい、今振り返って思うに、とても大きなアクションを母親たちは起こしていたんだなと思うのです。(ちなみに現在は障害者自立支援法施行により、予算が降りなくなったそうです)
今となっては名称も変わり、運営主体も変わりましたが、今でも活動そのものは続いています。
私が10歳にもなってない頃から始まってますから、15年くらいでしょうか。こうして考えると長いですよね。

その「ひよこサマースクール」ではどのような活動が行われていたかというと…

■運営のひみつ

1.子どものファイル
ひよこサマースクールに参加する児童生徒(小中学生)の親御さんは、事前に自分の子どもの特徴を書いた紙を提出します。嗜好性や障害の状況、得意なこと、苦手なことなど、たくさんのことが書いてあります。
一人でトイレに行けない、子どものこだわり、癇癪を起こしてしまった時の対処法などなど…

夏休みの平日のほとんど、このサマースクールは開催されているため、毎日同じボランティアがついてくれるとは限りません。
なので、親御さんが書いてくれたファイルの情報を事前にチェックして、今日会う子どもとのふれ合い方を準備してもらうのです。
活動が終わったら、ボランティアが個人の報告書を書き、全体でボランティアの反省会を行い終了です。
ボランティアが書いた報告書は、先ほどの子どもの個人ファイルにどんどんファイリングされるので、次の担当につくボランティアが、前回自分の担当の子どもがどんな活動をしたか、調子はどうだったかなどをを確認できるようになっています。
親御さんとボランティアが作るポートフォリオのようなものでしょうか。

2.ボランティア
ボランティアは養護学校の先生や、市内の学校の先生、それと高校生が主です。
あとは大学生・専門学校生がたまに(佐伯市に大学がないのでこれは滅多にいない)
高校生もとなり町の福祉科のある高校の生徒を始め、多岐にわたります。

■アクティビティ

*全体の流れ
夏休みの期間中、ボランティアに支えられながら、様々な障害のある子どもたちが活動を行います。
午前中はまずみんなで点呼。そのあと歌遊びなどが入り、プールで自由遊び。
お昼ごはんを食べて、午後は日によって何かのアクティビティを行う。そして夕方までには全ての活動が終わり、親御さんが迎えに来ます。
親御さんには今日1日の様子をボランティアはお伝えします。
また、週末土曜日は、ときどきお出かけをすることもあります。

*アクティビティの工夫
平日のアクティビティは、毎日違うものでした。
小麦粉粘土で遊んだり、大きな紙1枚にみんなでお絵かきをしたり、ムーブメント活動を行ったり、即興演奏をやったりなどなど、みんながのびのびと活動できるようなものを行います。
これ、全員楽しそうなんですよね。
私も小学校の時は「兄弟児」として一緒に活動に混ぜてもらったことはありますが、どうしてだか、楽しいんですよ。障害とかどうでもよくなる不思議な感覚が気づいたら芽生えているんですね。
これは兄弟だったから慣れからくるものなのかもしれませんが、それでも養護学校の授業参観にあそびにいく感覚や、家での感覚とは明らかに違うものでした。

さらに言うと、活動内容や、その活動の周縁でサポートしてくれる大人や「ナナメの関係」のような人たちの雰囲気で、その関わる時間は何倍にも楽しくなり、気づけばすとんと人生に色濃く何かを残してくれる経験として、その記憶が関わり続けるんですよね。
いろいろなNPOが芸術活動を通して、障害のある子もない子も関係なくワークショップを行う現場が少しずつ増えてきましたが、そこにも強く関連するのではと思います。

そして、改めてひよこでの活動が生きるなと感じているのは、まさに今、私は研究としてそういうアクティビティを追求しているからです。
そこで何が起こっているのか、とても興味深い。

しかもアート系活動って、活動そのものを行なっている間も、出来上がった作品も、誰かと繋がるメディアになるなと実感するのです。


■アートへの興味
アートアートと素人のくせに言い続けていますが(笑)

実は大学生生活後半に入るまで、アートというものにむしろ距離を置いていました。
高校生の時、書道部だったので「漢字かな混じり文」という作品をよく書いていたのですが(相田みつをみたいなイメージかな)
その延長で、書道だけ、ちょっとアートな雰囲気を意識して、人に言葉を書いてプレゼントしたりしていたんです。でもそれだけ。

なぜアートとの距離感があったのか。それは「アート」に対するつきあいかたがわからなかったから。
敷居が高かったんですよね。同じ事を思っている(思っていた)人は多くいるはずだと思うのです。

その捉え方を変えてくれたキッカケは、ニューヨーク一人旅でした。

 

 

多分MoonPalaceに泊まって、だいちゃんをはじめ、いろんなアーティスティックな人たちに出会って、書道の道具を持って行ってた私とコラボしてアーティスティックな遊びをしたり、街中でアートなものに触れていくなかで、私とアートの間の距離感が縮まってきました。

最低限のお金しか持っていかなかったことと(クレジットカードを当時持つことを断固として親が認めてくれなかったため。かなりの貧乏旅行)、9.11の映画製作のためにグラウンドゼロを訪問する予定などもあったため、美術館のことなんて全然考えてなかったんですが
ニューヨークでの後半の生活で、美術館等に行かなかったことをかなり後悔しました。(まあいつかまた行くんだけど)

アート市場そのものについても、これを機にいろいろと知識を得たり、海外の事情についても関係者から話を聞く機会が多くなりました。

そして、「アート」は人の距離を詰めるのか!という気付きを得たのもこの旅でした。


夏休みにたんぽぽの家を訪問させていただいたときもそうでした。
たんぽぽの家 http://popo.or.jp/index.html





















その「アーティスト」が描いた絵、作った作品について相手が語ってくれる。語りの中には作品にまつわるその人の姿がよく見えるんですね。そのコミュニケーションを取る中で、その人の為人はもちろんのこと、目の前の作品についても深く考えるんです。
まさに、平野さんがやっている「対話型鑑賞」に近いものを(勝手に)感じています。

平野智紀さんブログ:McMaster Blog http://blog.livedoor.jp/mcmaster/

*宣伝ですが、平野さんがファシリテーターを務めるイベントがまた行われますよ!
11/27(日) ミューぽんユーザー限定企画第三弾!!
対話型鑑賞 in 東京都現代美術館
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2011/11/mupon-in-mot.html


たんぽぽの家が関わっているワークショップの話を聞いていても、彼らが作る作品も、作っているその様子も、不思議なものがあるんですよね。あれ、なんなんですかね。
上手い下手とかそういうことでなくて、少なくとも人の手から生まれるもの、生み出しているその状況、何かあるなと思ったんです。


■学びの原風景
ひよこの話に戻りますが、あの活動で私自身はどういう関わり方をしていたのかというと、
小学校の時は「兄弟児」として混ぜてもらい
中学校の時は「ボランティアやりたい!」とせがみつつも「高校生からだからだめ!」と怒られ(とはいえ平日は毎日ソフトボールしてたので参加できなかったのですが)
高校生になって、1,2年次は平日の活動にほぼ毎日参加しました。

あのときに、自分の兄弟以外の子について知ることができた、しかもそれはとても「ナチュラルでプレイフルに!」というなんともふわふわ感じでしか表現できないのですが(笑)。
アーティスティックな活動にフロー状態になりつつ、みんなで作ったからなお嬉しく楽しい。

作っている間に感じる、目に見えない連帯感みたいなものと、出来上がった時にも持続する連帯感、さらにはこの出来上がったものをキッカケにして生まれる言語的・非言語的コミュニケーション
学校での「交流及び共同学習」とは違う楽しさや面白さが絶対そこにあった。
ここに何か秘密がある気がするんですよね。

ずっとひよこサマースクールの近くにいて、小学校のころも、あの場に自分のクラスの子がいたら、もっと面白いのになとふと思ったりもしました。

その後、美術館にはよく足を運ぶ用になりました。美術館だけでなく、街の見方も確実に変わりました。

気づいたら、アートな活動と、学びの原風景が気づいたら距離を縮めてきて、私の研究になろうとしている気がしています。
経験は必ずどこかで縺れ合い、新しい糸を生み出すのだなと感じています。
そしてその糸がまた別の糸と紡いでゆくのでしょう。とても素敵なことだなと。

そして、私は様々なアート活動を通して、多くの人と関わり、コミュニケーションをしていたんだなと思うのです。

ちなみに私の所属する東京大学大学院学際情報学府の同期のお友だちたちもメディアアートの展示会を行います!
しかもテーマはまさに"Re:"―対話ということで、私も行こうと思ってます!楽しみ!


*東京大学制作展"iii Exhibition" http://www.iiiexhibition.com/
Twitterアカウント http://twitter.com/#!/iiiEx

開催日時2011年12月2日(金)〜
2011年12月7日(水)
11:00−19:00
入場料無料
会場東京大学本郷キャンパス
工学部2号館2階展示室・
2階フォラム(中庭)

そろそろ寒さが強くなって来ましたが、寒い季節の対話は温かくしてくれますよね。
楽しいおしゃべりと、アートはいかがですか。
個人的にはロイヤルミルクティーも欲しい。


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2011/10/09

『共感するイノベーション インクルーシブデザイン -10年の歩み』展 に行ってきた


見に行ってきたもの報告。

『共感するイノベーション インクルーシブデザイン -10年の歩み』展
に行ってきました。


主催:インクルーシブデザイン研究所 http://www.inclusive-d.net/




■ インクルーシブデザインとは
これまでデザインのメインターゲットから除外(エクスクルード: exclude)されてきた人々を、積極的にデザインプロセスの上流工程へ包含(インクルード: include)し、かつ、ビジネスとして成り立つデザインを目指す考え方です。 
ユニバーサルデザインが、障害者や高齢者に標準をあわせながら、全ての人にとって利用可能な、製品や環境を想定しているのに対し、インクルーシブデザインは、年齢、ジェンダー、障がいに関係なく、すべての人々を含むデザインのプロセスとして区別されます。

と、HPからの引用なのですが、こうあるように、「インクルーシブデザイン」は「ユニバーサルデザイン」と区別するように生まれてきた概念です。
障害のあるとかないとかいう以前に、世の中には「あらゆる人たち」がいて、どんな人にも使いやすいデザインを考えるというもの。

なぜかへるめ( @herume) と フナエくん(@i_ship_pro)と行ってきた。
というわけで忘れないうちに感想を。



■インクルーシブデザインの中にあるアイデアの可能性

先日のワークショップを思い出させるようなアイデアがたくさんありました。
*この2つは先日の8月の授業でのミニワーク中にアイデアとして出てきたものにとても近くてびっくりした。見に行ってみてくださいな。
・牛乳パックのデザイン「ミルクマン」
「ホースは折れると水が流れてこない」という発想から生まれたもの。
・植木鉢?の側面が鏡になっていて、周りの景色がそれに写るという金属のデザイン

あと他にも面白いなと思ったのでメモ。
・ボタンを選べるリモコン
レゴみたいに組み立てられそうで、使うだけで楽しそう!
・見えない人でも服の色の違いをみわけるためのタグ
そのタグを別の機械が読み取ってくれるもの。(だったはず)
・手の力が入りづらい人のためのなべの取っ手のデザイン
これ、普通に子どもも使いやすいし可愛かった。
・片手でつけられる絆創膏
・黒板型のデザインのタブレット
チョークみたいなペンで、文字を書くとその線もチョークみたいになっていて、データはケータイとやりとり可能となっている。

誰にでも使えそうかつ見た目がかっこいい・かわいくて見ていて楽しい。
あと、どんな企業が関わってやっているのかというのもおもしろいと思います。
タダだし、デザインとか好きな人は行ってみるといいと思います。


■インクルーシブデザインは触ってわかるもの。

「10年の歩み」という訳で、これまでデザインされてきたものが年代に沿って説明するように並べられています。

とはいえ、歴史をたどっているだけの印象を持ったので、ちょっともったいなかったなぁと思いました。
へるめもフナエくんが「(モノができあがる)プロセスもっと見たかったなぁ」と言っていたのも印象的だったのだけど、多分それは、展示が歴史をたどっているにとどまっている(印象だっただけなのかもしれないけど)からなのかも、と思いました。

インクルーシブデザインされたプロダクトが実際展示されているのですが、実際に触ることができないのも残念。
なんで触っちゃいけないのかわからないのですが(不完全なものだったのかな?)
でも、こういう展示は手にとって見るからこそ「良さ」というものはわかる気がします。

あと、PCに映像が流れていたのですが、音声が聞こえにくいのがちょっと残念。
インクルーシブの展示をするなら、PCのほうも、うまく字幕つけたりとか、なんかできたよなぁと思ってしまいました。うぬぬ。


■インクルーシブデザインによる、コミュニケーションデザイン

こうして「これいいよね」「あれおもしろいよね」「これ使ってみたい」と思わせるデザインプロダクトってのは、もしかしたらこういう「 」から始まるコミュニケーションの、そもそものキッカケを生み出しているのかもなぁと感じました。

それに、これらのデザインが、例えば見えない人、手が不自由な人の役に「」立ったりするのだろうけど、このデザインが全てそういう人たちのことを100%サポートしてくれるわけではない。結局そこにはリアルに人が関わる必要はある。なぜなら絶対に番人のためのデザインなんて、ありえないから。
デザインで全てが解決できるのなら、世の中の問題は全て解決できるってことなのだと思いますしね。

誰しも誰かに手を貸してもらったり、そもそもモノを楽しく使う中で生まれる会話もあったりする。
福祉の側面から言うと「誰かのために」しなきゃという気持ちが働いてしまう。「支援しなきゃ」の気持ちが先に働くような相手の見方はしたくないなぁと思うのです。
一緒に使って、「これいいね」って楽しみながら使いたい。
そのキッカケとなりうるモノ。
楽しいコミュニケーションを生み出す、インクルーシブデザインプロダクトなのかもしれないです。

ちなみに「も」言ったのは、このデザインは『ともに』のデザインだからです。

インクルーシブデザイン、よかったらぜひ見に行ってください!*

★おまけ
BLACOWS、前からめっちゃ気になってたバーガー屋さんだったので、念願叶ってきました♪高いけど!
バーガー屋食べ歩きしてたの懐かしいなぁ。誰か行きましょう!


2011/10/08

Summer Study Tour 2011(1)−Communication Design

先日から後期がスタートしました。
日本女子大学時代は「前期・後期」と読んでいたけれど、東大に来てから「夏学期・冬学期」という言い方をするのですが、まだ馴染めず、未だに後期と言ってしまうあたり、まだまだ在学意識が低いです。笑

夏休みはいろいろな現場を見せてもらいました。研究者の卵としての濃い夏休みだった気がします。


●8月
*京都出張1
1〜3日:京都大学塩瀬隆之先生のインクルーシブデザインワークショップの集中講義@京都精華大学
4日:大川センター見学
5日:たんぽぽの家の見学 http://popo.or.jp/
7日:京都総合博物館にて「夏休み体験EXPO2011 夏」:触った印象を絵に描いてみよう!ワークショップの見学

7月30日〜8月13日はSoclaの期間だったため、Facebookとにらめっこ。
17日:EduceCafe
25日:コクヨさんに、白梅学園大学のワークショップ実践について伺う

●9月
(8月31日)〜9月2日:京都出張その2
3日:BEATセミナー
6日:経営学習論(中原先生)最終発表会
9日:CAMP10周年パーティー参加
10日:ファッションコラージュワークショップ実践
13日:学校現場見学
17〜19日:日本教育工学会@首都大学東京
26〜28日:ALT夏合宿@軽井沢
30日:研究法Ⅲ(山内先生・水越先生)ワークショップ実践報告会


8月上旬の京都の旅は、基本的にひとり。
舘野さんが「日常を異化する」とご自身のブログで書いてあったけど
本当にそうで、日常と非日常の境目をうろうろしている1週間でした。


今回の記事は、京都出張1について。
その中の、塩瀬隆之先生による、京都精華大学での授業見学(というよりも参加)について更新します。



●京都精華大学*創造領域特論2

塩瀬先生に呼んでいただいた授業。早朝塩瀬先生と国際会館駅で待ち合わせ。

京都精華大学はとってもスタイリッシュな大学。
はっきり言って美大。






基本的に建物はスタイリッシュ。
学生課や教務課が一緒のフロアになっていたのにはびっくり。
そしてその大学職員さんのフロアだけでなく、ラウンジなどの主要な部屋はガラス張りでした。


階段も青とかピンクの壁になっていてかっこ良かった。
ここのフォントも個性的でした。アップで写真撮るのを忘れてしまったことが悔やまれますが…



















左の写真が食堂で撮ったもの。美術系の大学らしいサークルやイベントのフライヤーなどが

壁にたくさん貼られていました。


右の写真が食堂の上にあるカフェ。
隣にFamily Martもあります。
ちなみに左の後ろ姿が塩瀬先生。笑

実はこの日、オープンキャンパスで
キャンパス内は高校生らしき子がたくさん来ていました。
そのためかとても賑やかで
学生スタッフや職員さんがおそろいのTシャツを来ていました。



さて、創造領域特論2という授業。大学院生向けの授業です。
サブタイトルが「コミュニケーションデザイン」という名の通り、
塩瀬先生は、「コミュニケーション」というものを様々な角度から考えさせていくような授業を展開します。


1日目は基本的に講義が主。「コミュニケーションデザインとは何か」ということを、様々な切り口で考えていきます。
とはいえ朝から夕方までずっと座っているわけではなく、ミニワークを入れながら講義を進めていきました。
塩瀬先生の「コミュニケーションデザイン論」の話や、創造的なディスカッションをするためのワーク、そこにまつわるちょっとした理論や、具体的な手法を、手を動かし頭を動かし、しゃべりながら進めていきます。


2日目がこの講義のメイン。
見えない学生さんが3名来ていて(みんな大学生)、彼らをグループに巻き込んでワークショップ。
いわゆる「インクルーシブデザインワークショップ」に参加。
このワークショップでは、基本的に「ユーザをデザインプロセスに巻き込むこと」が目的です。
しかし、「ユーザー」といえども多様なユーザーがいる。
ここでは「3人の見えない人」と「私たち大学院生」もユーザーであるという前提でアイデアを考えていきます。


今回のテーマは「記憶法・発想法」
記憶すること、アイデアの発想を支援するようなものをカンガエルということが、今回のワークショップの目的です。



メンバーが揃った後、目の見えないユーザーへのインタビューを中心に、アイデアをみんなで考えていきます。
塩瀬先生は基本的にブレインストーミングをするよう促します。この3日間でたくさんのポストイットを使いました。

そのあと、プロトタイピングを行い、演劇のような形でプレゼンテーションを行なって終了です。


プレゼンは、急遽大学の職員さんに来てもらい、そこで順位付けをしてもらいました。
私たちの班で考えたアイデアは「PicNavi」という携帯電話のサービス。

同じ班の、見えないHくんは、iPhoneなどのスマートフォンの利用は困難という話をしてくれました。
いわゆる「ガラケー」のボタンのほうが、どこになんのボタンがあるか、手で触ってわかるから。
どのボタンを押したのか、どんな変換ができるのかは、音声を聞けるように設定してあるので、見えない人にとってはガラケーのほうが「スマート」だということが判明しました。
実際に見える私達も、ガラケーが特別不便というわけではない。

その後、私たちは「記憶する」ということとガラケーの利便性を考え、
ケータイのナビ機能に注目して考えていくことになりました。

ちなみにPicNaviの機能について簡単に説明すると…
街中に出たとき、セカイカメラの要領で目的地までを案内してくれる。
ケータイが人間の存在をリアルタイムで感知するので、人混みも歩ける。

音声は街中の音とケータイの音が両方聞けるよう、骨振動で伝える。

実際にリアルタイムのナビゲートは見える人にとっても便利である。見えない人がこれをを使って道を聞いてきても、見えない人が意図している情報がケータイの画面に映っているため、コミュニケーションの媒体にもなる。それぞれにも便利だし、繋ぐこともできる、というもの。


ちなみにこのアイデアは、3チームの中で1番の評価をいただきました。
でも、私達が伝えたかった「誰にでも使える」という部分が上手に伝わりませんでした。
プレゼンの時「見えない人にとって便利」という風に伝わってしまったことが問題だったという話になります。


3日目は、2日目の実践の評価をし、
バリアフリーデザイン、ユニバーサルデザインとの違いについて考えたり、メジャーからマイナーまで様々なユーザの声をデザイン活動に反映させる創造的ディスカッションの手法を体験したりし、ミニワーク多めの授業となりました。
コミュニケーションデザインやインクルーシブデザインワークショップなどを「Creativity 創造性」という概念にまで広げて考えていき、3日間の集中講義が終わりました。


今回の授業では、
「社会問題を解決できるようなコミュニケーションデザインを自ら起案する具体的方法を習得できる。」
というインクルーシブデザインワークショップの可能性について体得できたことなのではと感じています。

インクルーシブデザインワークショップについてもう少し触れると「生気がなくなるほど頭を使った」というものが、正直な感想です。

見えない人と関わったことがないわけではないですが、ワークショップで関わったからこそ見える、「咬み合わないこと」を身体で感じられたことが、今回のワークショップの魅力の1つなのかなと思います。
ましてや、京都精華大学にもアジアの留学生が多く、今回も4分の1くらいは中国・韓国などの国籍の学生さんがいました。
例えば顔なじみの人であれば、まだワークを行いやすいと思うのですが、初対面の人とのグループワーク、しかも外国人も含む状態。
学生さん同士、専攻も学年もバラバラのため、意見をすりあわせたり、議論を活発にすることは難しかった。
基本的にグループワークに不慣れな学生さんが概ね多かった印象もありました。

ただ、3日間のワークを経て、最後にはほぼ全員がよく意見を言っていたように見えました。
議論が明らかに活発になっていき、楽しそうに関わっていく姿が見受けられました。
また、意外と人との繋がりが生まれた3日間でもありました。

そして、この授業そのものが「インクルーシブデザインワークショップ」だったように思います。
これから「さまざまなバックグラウンドを持つ人とのコミュニケーションデザイン」を考えていく必要性も感じたので、このワークショップの可能性は大きいなと思います。



こうして「かみかわないこと」をかみあわせるような「1つのアイデア」に落としこむことって、想像以上に難しい。
これ1つでかなり楽しいのですが、工夫しがいのあるワークショップだと思います。
わたしもこの手法をもっとアレンジして、自分なりに実践をやってみたいなと感じています。

そもそも見えない人とのコミュニケーションをこれほど意識することはなかったなと、振り返ってみて感じています。

想像だけじゃわからない、話を聴くだけじゃわからない。
「車椅子を日常生活で使っている人はきっとこうしたら便利『だろう』な」
「見えない人にはこうしたほうがいい『だろう』な」
というデザインが、街中には溢れているんですね。

これは障害のある人に限らず、直接人(ここではユーザー)と関わることで、「本当に『これを使う相手』を知る」ことがスタートとなり、デザインをしていく。
それが「ユニバーサルデザイン」でなく「インクルーシブデザイン」であり、求められていくものなのでしょうね。

最後に、塩瀬先生が散々おっしゃっていた「アイデアをだす3つのポイント」について記しておきます。
この詳しい話は、またいつか。

・ブルースカイ:限界を考えない状態で考える
・マルチプルシナリオ:いろんな文脈でひろっていく→ユーザーを広げる
・クイック&ダーティー:汚くていいから(プロトタイプを)速く作る!

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2011/09/06

ファッションコラージュワークショップをやるよ!


いろいろ更新したいものがありつつ…


告知させてください! 
今週末ワークショップを行います。

ファッションが単純に好きな人
雑誌というメディアに興味のある人
自分が(自称)お洒落じゃなくてもかまいません(笑)
学生・社会人問わず、お気軽な気持ちでお申し込みください♪


まだ若干空きがありますが、着々と埋まりつつあるので 
お早めにお申し込みください! 

*・*・:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・* 

ファッションコラージュ・ワークショップ 

~ファッション誌の解体マンダラ~ 

詳細*お申し込み→ http://bit.ly/rjUTAo 

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ショーウィンドウや、立ち読みするマガジンの中から 
魅力的なメッセージを放つファッション。 
カウンターカルチャーからハイファッションまで、日本人はファッションが大好き。 

今回の「ファッション・コラージュワークショップ」では、 
トレンド情報の発信元であるファッション誌に注目しました。 

ファッション誌を解体して、コラージュを作成。 
また、お互いに作ったコラージュを比較し、それぞれの特徴を捉える中で、 
ファッション誌が発信する情報とは一体何なのかを考えます。 

ファッション誌が語るモノゴトに向き合い、解体し、その言葉が纏う世界とは… 
土曜の午後、一緒に探ってみませんか? 

*・*・:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・*・*・:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・*:::・*・* 

「 ファッションコラージュ・ワークショップ ~ファッション誌の解体マンダラ~」 

【日時】2011/9/10(土) 13時~17時(予定)  

【場所】東京大学本郷キャンパス 工学部2号館 92B教室 

サブウェイが入っている建物の9階です。建物の前でスタッフがお待ちしています! 

【定員】16名(応募者多数の場合は先着順とさせていただきます) 

【対象】 
ファッションが好きな人 
雑誌というメディアに興味のある人 
どちらも特別好きなわけじゃないけど、気になっている人 
ファッション雑誌をバラバラにしてみたい人… 

学生・社会人問わず 
どなたでも大歓迎です♪ 

【参加費】無料 

【お申し込み】 
下記URLアドレスのフォームに必要事項を明記してください。 

【お問い合せ】 
山田小百合(qq116225[at]iii.u-tokyo.ac.jp) atを@に変えてください。

【主催】東京大学大学院学際情報学府 
呉重恩   http://twitter.com/#!/wuzhongen 
高木紀久子 http://twitter.com/#!/kikorine 

【参加にあたってのご注意】 
本ワークショップの様子は写真や映像で記録させて頂きます。写真記録は大学院のワークショップレポートとして掲載する場合があります。記録した音声・映像データは、研究目的以外に使用は致しません。 
また、個人情報に関しましては、このワークショップが終了次第削除させていただきます。 



ワークショップのために雑誌についてこのところみんなで調べていました。
雑誌のマーケティングとか、雑誌のカテゴライズが様々だったりとか
男性誌女性誌の違いだとか…結構おもしろいです。

このワークショップの告知をしていて、「俺(私)お洒落じゃないからなー」と言われることが多いんですけど、

おしゃれに興味があるので参加する♪でも
コラージュ作るの面白そう!
雑誌というメディアについて捉えてみたい!
などなど、理由は様々なので、お気軽にどうぞ!




**余談**

私のファッション誌との関係といえば…

高校時代からファッション誌は漁りまくっていて
教育ジャーナリストになれなかったらファッション誌の編集者になりたかったくらい
ファッション誌というメディアのことが、高校時代とっても好きでした。

初めてファッション誌を読んだのは小学校5年生。nicolaを読んでいました。

当時新垣結衣ちゃんや太田莉菜ちゃんが
ニコモ(ニコラモデル)オーディションでグランプリになって出てきた頃でした。
今でもはっきり覚えてます。その当時から彼女らは可愛かったです。
ガッキーはあのまんまだったけど、太田莉菜ちゃんがあそこまで個性的なモデルになるとは思わなかった…タイプが全く別ですよね。

話がそれましたが、nicolaが最初にファッションに興味を持ったキッカケでした。

そのあともちらちらと買ってはいましたが、本格的に雑誌を読みまくったのは高校生になってからでした。
CUTiEから始まり、すぐにZipperばっかり読んでいましたね。
気づけば古着ばっかり買ってました。
でもよく考えたら、本当に雑誌は好きで、いろいろ読みあさっていましたね。


ついでにコラージュといえば、プリクラとの関係が強かったなと思います。
小学校3年生からプリクラを撮ってよく遊んでいました。
これがだんだん「プリ帳」という文化につながってきます。

女子中高生(もしかして小学生も?)はプリクラをオリジナルのノートに
きれいにデザインして貼ってあるんですよね。

私もやってたのですが、その時に雑誌の切り抜きとかと合わせてコラージュみたいにしてました。

あれって一種のファッション誌に出てくるスナップページみたいなものだなと思うのです。
それからコラージュ作品もたまーに作って遊んでました。楽しかったなぁ。



ちなみにその中学からのプリ帳は、カタリバでみせるために全部持ってきています。
あの頃の自分若い…

ちなみに最近の愛読書はsweetです(聞いてないですね)
でも買わなくなりました。高いもん雑誌。

というわけで、余談ばかりですが笑
ぜひワークショップ、遊びに来てください!

→ http://bit.ly/rjUTAo 

2011/08/15

高2の夏休みの革命―Soclaの2週間

京都での日々を更新する前に
忘れないうちに簡単に久々の更新。

先日、Soclaが終了した。

東京大学 x ベネッセ:ソーシャルラーニングプログラム「Socla」
http://www.facebook.com/BEAT.Socla

簡単に説明すると
SNSを利用しながら、自分の進路や将来に繋がる調べ学習をしていく、というもの。
(詳細は上記リンク参照)

Facebook上でボランティアサポーターや私たちファシリテーター、スタッフのみなさんと
高校生がやり取りをしていく中で、自分のこの先に繋がる何かを探っていく2週間でした。

−−−

7月31日、都内や東北、関西からの高校生が勢ぞろい。
そして、この2週間のプログラムの最初の課題
自分の将来や人生につながる「問いをたてる」ということを
みんなに一生懸命考えてもらいたくて、必死でした。
簡単な「問い」でなく、自分の人生において大きな糧となる何かを
必死で探して考えられる「問い」。

高校卒業後の自分を描く、最初の大きな調べ学習。

そういう2週間にしてもらいたい想いで関わっていました。

最初の顔合わせのあと、すぐに京都に行くことになっていた私は
京都での朝から晩まで活動する日々の中で
スキマ時間でFacebookをチェックしたり
京都で高校生の進捗相談をSkypeで行う日々…

たくさんFacebookを更新する高校生もいれば
なかなかログイン出来ない子もいたりする中、
どうやってみんなにとって意義ある日々になるか
おちゃらけて高校生と関わる中で、実は結構必死でした。


部活や生徒会、文化祭の準備で大忙しな高校生もいました。
それでも必死にがんばっている姿が伝わってきたのが本当に嬉しかった。


大学生や社会人のボランティアサポーターさんも
学業や仕事の合間で、たくさん高校生にアドバイスしてくださっていました。
そんな存在が助けてくれていたからこそのプロジェクトでもありました。

まさにサポーターやファシリテーターは、ナナメの関係のようでした。

−−−

高校2年生の夏休みは、私にとっても人生の大きな最初の転機、「大きなキッカケ」が訪れたときでした。

学校嫌いだった私は、学校嫌いがキッカケで教育を勉強しようと思い、志望校を決めました。
まさにそれが高2の夏休みのことでした。
生徒会がものすごく忙しかった高2の夏。


私にとってのその「大きなキッカケ」は、高校時代の国語の先生でした。
授業で1度ももってもらったことはなかったけれど
彼と話した社会のこと、将来のこと、あれが私の最初のスタートじゃないかなと思います。

そんな中、部活(書道)は大好きだった私にとって
私の高校で好きな場所は、書道室であり
春になったら綺麗な桜を独り占めできる、書道室のベランダでした。
書道室のベランダで、かくれが(高校の近所の超人気パン屋)のメロンパンを食べてるときが、至福のときで
好きな歌詞を大きな紙に書道で書いている時間が、自分との対話の時間でもありました。
そして、学校嫌いの私は高3のときにはサボるようになり
同級生とあまり会話をかわさなくなりました。
気に入らないことがあったら勝手に早退したりも
めんどくさいから昼から学校行ったりもしていました。(良い子は真似しちゃだめです笑)

そして、そんな破天荒な私を支えてくれたのは、部活の顧問であり
周りと打ち解けない自分に、恐れずそのまま世界を広げていいと背中を押してくれたのは、塾の恩師でした。

自分のための進路だけど、彼にいい姿を見てもらいたくて必死だった自分もいたように思います。


私は自分の将来を一生懸命考えていたタイプの高校生だったので、
おそらく学校で浮いていて(笑)
「今が楽しければとりあえずよくね?」「とりあえず国公立じゃね?」という空気の中
すごくすごく、寂しかったことを覚えています。

仲間が、そして、ナナメの関係が、私にはいなかった。
田舎なので、情報もほぼ固定されたものしか入ってこない環境でもありました。
私にとって、その環境は当時とても窮屈でした。


でも、私なりに一生懸命考えている自分の未来を、一緒に考えてくれて、意見してくれる
そんな大人たちとの関わりがキッカケで
私は東京の大学に進学をすることを決め、自分の決意に自信を持とうと思えました。


そんな自分の高2の夏を、Soclaが終わった後、気づいたらふと思い返していました。



さらに今は、自分のさらなる原点に帰って、研究の道に足を踏み込んでみることを決めました。
そして、去年は彼らへの恩返しを込めて、彼らとの大きな約束を果たした1年でもありました。

−−−

自分の将来や人生を、一緒に考えてくれる人って、すごく貴重だと、
自分の経験とSoclaでの日々を重ねて、改めて感じました。
私は私なりに、一生懸命考えていて、誰かに見て欲しかったんだなと、今となっては思うのです。

高2の夏は大きな夏だと個人的に思います。
まさに自分の中で小さな革命が起こったようなときでした。
だからこそ、充実した2週間にしてもらいたかった。


8月13日の最終発表会でのみんなのまとめは
私が勉強になるくらいの面白い問いと
それぞれオリジナルな面白いまとめが並んでいました。

大学のパンフレットだけじゃ
偏差値じゃ
大学名だけじゃわからない
それ以上のことを、彼らなりに学んだのかなと思うのです。

さらには文章を読むだけじゃない
時には教えてもらって、助けてもらって、自分で調べてまとめるからこその学びなんだなと思うのです。

「正解は1つじゃない」問い。
それを求めることの難しさと楽しさ。
そして自分の発表ポスターに容赦無いオトナたちからのツッコミ。
悔しい思いをした高校生も多分いるでしょう。

でも、高校生で経験できるなんて、羨ましいと思う。

そうやって、鋭いツッコミをしてくれる大人が
興味をもってくれる大人が周りにいることが、どれだけ幸せなことか。
自分が高校生だったら、うらやましがるだろうなと思いました。


なにより、Soclaで関わってくださったみなさんが、高校生の身近な応援者となってくださったおかげで
かれらはとても素敵な発表をすることができたのかなと思います。

そして、8月13日の頼もしい彼らを見て、
きっと、大きな種ができただろうなと感じました。

参加した全員が、これから「あんな人になりたい」と思わせてくれるような
憧れちゃうようなオトナになってくれることを願っています。

要は、

ナナメの関係という存在、やっぱりおっきいわーってことと
今しかできない学びってあるなぁということと
SNSは学習に使えるヒントがたくさんあるなぁということ
高校生は元気が良かったということです!笑


学術的なまとめは、Soclaの年度末の報告会などで出てくると思うので
個人的感想まで。笑



おつかれさま、とありがとう、これからも応援したい気持ちを込めて
高校生に個人的プレゼントを作りました。
(何時間かかったんだ…研究しろ)

10000日たったあと、もっと先、
この2週間を、彼らはどのように感じるんだろうな。
そして、きっと彼らもこの先、誰かの「憧れ」になるんやろうなぁ。

もっともっと、私こそがんばらなきゃなと感じた2週間。
素敵な2週間でした。本当にありがとうございました。


2011/07/16

本女がどうして穴場なのかということについて。

毎日更新したいことはたくさんあるのだけど、気づいたらかなり更新していなかった。
反省です。
1週間に2回くらいは更新したいものです。
毎日何かしら気付きがあるものですからね。



先日山内太地さんがわざわざ会いに来てくださった。
そして一緒に友人りんちゃんと取材?というか雑談をして

そしてこんな記事になりました。
http://tyamauch.exblog.jp/16275304/

山内さんありがとうございました!

りんちゃんと同時並行的に喋ったがために、カオスな会話がこんなことになってしまいました。笑
私がまるで本女にいろいろ不満があったっぽいような記事になっていますが…!

そんなことはないですよ。まじで。
ここで出会った本女の友人、学んだこと、本当に私のたからものだと思うくらい、本女ライフは心から楽しかったです。
大学のいろいろな制度とかに不満はあったけどね。

日曜日に大学入れないし
学食13:30には閉まるし
うちの学科のゼミはジャンケンで決めたし
目白ー本女直通バスは170円するし
とか出したらきりないからまーいいとして。

せっかくなので、簡単に自分の大学時代(主に日本女子大学での生活)について記してみようと思います。

山内さんの記事ではかなりぶっ飛ばして(笑)書かれているので、もう少し補足的に話すと

私は高校時代から「教育と社会の関わり」に興味がありました。
昔のほうがいろんなことを考えていたわたしは、教育が社会の土台だという結論に当時至りました。

でも、当時「先生」という人たちが大嫌いで(ほんとうにすいません)
「先生」にはなりたくなかった。


だから、反面教師的に教育を学びたい。
そして、地元を出たい。

超簡単に言うとそんな思いで早稲田大学教育学部を受験することにしました。
教育学を学んでも、先生になる人が少ないというのと、有名大学だったからというのと
絶対にノリが私に合ってると思ったからです。←これ結構外れてないと思う

そして併願は日本女子大学のみです。出願した学科全部に一応合格はしました(家政経済学科、日本文学科、英文学科)
(ついでに大分大学経済学部にも合格していますがどうでもいいのでこの話は割愛)

ちなみに日本で一番古い「女子大学」は日本女子大と言われているので
年配の方々が言う「女子大」は固有名詞的な意味で「日本女子大」を指すことが多いです。
(津田塾と比較されますが、「女子大」を名乗るという意味で違うんだった気がする。でもこの話も今重要じゃないので割愛)

さて、私は結果、早稲田に落ちて日本女子大に入学することになったのですが、そもそもなんで併願に本女を選ぶことにしたのかには理由があります。

山内さんの記事のとおり、私は女子だけのコミュニティというものに偏見を持っていたので
女子大なんて絶対嫌だ!と言っていました。
でも当時とてもお世話になった塾の先生は、
「佐伯市の人はぽんじょをしらんけどね、東京では有名な大学だよ。女子大嫌だ!と言ってた人は大抵卒業の時に『女子大楽しかった』と言ってるから、君は大丈夫だよ」
と私にしつこく言っていました。(というか学力も足りなかったんだけど、それを抜きにしてもよっぽど早稲田に行かせたくなかったらしい笑)

もし早稲田がダメだったら本女に行くことにした3つの理由


  1. 早稲田の授業に潜ろう作戦
  2. 「女子としての特権」の4年間
  3. 家政学部家政経済学科という穴場

1.早稲田の授業に潜ろう作戦
授業なんて、潜ればいいじゃん。ということを知っていた。
カタリバでこの話を高校生にするととても驚かれるけど、確かに高校生でそんな発想に至る人はそういないのかもしれない。なんで私もそういう発想に至っていたんだか覚えていない。
ついでに大学を調べていたときに、早稲田、立教、学習院、日本女子、学習院女子の5大学での単位交換制度(F-Campus)を知って、立教を併願にしよう!と思って、立教を受験することができず、本女でいいや、と落ち着いたのもあった。
まぁ実際エフキャンは名ばかりと言われてもしょうがない制度ではありますが、
本女の「調理実習」の授業には男子が必ず複数履修しているっていう面白い話もあります。


2.「女子としての特権」の4年間
大分県には女子高も男子高もない。(なくなった)
もちろん私は地方の公立の共学に通っていて、女子大っていう場所が想像できなかった。
早稲田に落ちて、超落ち込んでいたときに塾の先生が
「女子大に通えるのは、女の特権だよ。4年間だけの経験だと思って、行ってみたらいい。」と言われたとき、すんなり受け入れることができた。未知なる世界への挑戦って、アリかも!と突然思ってしまったのですね。

で、実際入学式の前日が入寮日で、其の次の日の入学式で若い女子しかいなくて
内部進学の子とかキラキラしていて、もういろいろ終わった!!!と思ったけど
実際は最高に過ごしやすい4年間でした。
友だちできないかもと思ったけど、想像以上に友達に恵まれました。
すべての学科に友達がいた。友達の友達は友達だったし。
寮生活最高に楽しかった。課外活動が多かった私に、本女のみんなは優しくしてくれ
テストの時などめっちゃ助けてくれて(すまん!本当に感謝!!!)応援してくれて、
でも各自も頑張っていることがたくさんあって
なのに可愛い子ばっかりだった。最高でしたね。

山内さんの記事でもあるように、そこで認められる人は結局自立心がある人だったと思う。
そして、少なくとも私の周りはやることちゃんとやってた。私より学校のことちゃんとやってましたよ。(え
お互いが、お互いのいいところを認め合っていて
女子だけの環境の中でオープンにいろんなコトを語り合った。そんな4年間でした。

女子だけのコミュニティだからこそ学べることってあると思います。
今となっては男いると時々めんどくさいなと思う時がある。
あと、トイレが綺麗です。笑


3.家政学部家政経済学科という穴場
さて、最初の方に「教育と社会!」とか言ってたくせにあれ?と思われる方もいらっしゃるかもしれないので学部の話を。

ここの学部に決めたのは、塾のOGの先輩が3つ上にいるから(だから勧められたしそして先輩とは今でも良くしてもらっていて昨日も会った)なのですが、
山内さんに「なぜ児童学科または教育学科にしなかったの?」と、先日尋ねられたので、その話をしようと思います。


  • 児童学科:明らかに保育士・幼稚園小学校の先生になる人がいくところというイメージ
  • 教育学科:そもそも西生田キャンパスだから却下 (おい

という理由です。
そう。早稲田の授業に潜るためには、早稲田の近くにいないとだめなんです。(気持ち的に)
そうなると、西生田キャンパスはいろいろ不便。
教育学科のある「人間社会学部」は、「読売ランド前駅」が最寄りの、「東京じゃなくて神奈川県」にある西生田キャンパスなんです(ここで入学式卒業式はやる)。

家政学部って、学科は様々なんですが、軸に「生活」がある。「社会」じゃないんですね。
大きな世界を見る前に、まず周りの人が生きているその場所を見る、考える、という思考が身についた気がします。
家政経済学科は、変な名前ではありますが、
生活の中にある大小さまざまな問題を社会や経済の視点で考え、解決方法を探ります
引用元:日本女子大学HP http://www.jwu.ac.jp/unv/home_economics/economics/feature.html 

とあるように、もっと身近な生活者視点の問題に触れる、結構リアルを感じれる学問領域なんかなと思います。結構これが私にはヒットしました。社会科学全般好きにやらせてくれることも魅力です。
「なんとなく社会的なものに興味はあるけど、具体的には決めらんない」っていう女子は
ぜひかせけー(家政経済学科の略)の紹介ページを見て欲しいです。

社会の様々な問題は、まずは身近な人をどう見るか、身近なところから何に気づくか、
そっから始まる気がします。

あと大学3年で気づいたんですが、家政経済学科って、NPOとかの研究やってる先生多いんですよ。卒論の時結構貴重だなって思いました。
おかげで卒論もNPOの卒論でした。社会起業系関心ある人、本女くるといいよ。

「家政学部」があるいみ学際的な学問分野であるがゆえか
現在は「学際情報学府」という所属になりましたが、
実際のところ、日本女子大学で学んだこと、もっと言えば家政経済学科で学んだことが、今の研究に役立っていると感じています。

うまく言えないけど、とにかく本女は穴場大学。
また思いついたら本女自慢をしようと思います。

んーあとはこちらの記事がまとめになっていると思います。
自己紹介がわりの記事です。

日本全国大学生Blog 「自分がブランドになる!」山田小百合
http://ameblo.jp/daigakublog/entry-10703865649.html

追記
このブログが高校生向けってことで、先日、大学3年時に出演した番組が本になり、今日送っていただいたので宣伝です。名前も載せていただいていました。
よかったら読んでね:) ※たいして出てはないです





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2011/05/04

[Book]コミュニティ感の違いを考える--「コミュニティを問いなおす」を読んで。



メモ書き程度のレビューです!

本書は、都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策などの多様な観点から、新たに「つながり」の形を掘り下げる大胆な試みである。


人口の多い街と私の地元のような地方とを比べると、どうしても「コミュニティ観」みたいなものが、ずれているような気がしていました。
高校生のときはなんとなくそれを想像していて、東京に来て「やっぱりそうだった!」と確信を持ちました。でもなかなか言語化できなかった。

ここで、「コミュニティ」を考えるとき、少なくとも以下の3つの点は区別して考える事が重要だと筆者は主張しています。

1「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」
2「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」
3「空間コミュニティ(地域コミュニティ)」と「時間コミュニティ(テーマコミュニティ)」

農村型コミュニティ…。思い当たる節ある…。

また、「都市」というものへの感覚が、他国と日本とを比較すると根本的な違いがあるという話も出てきます。
それには2つの側面があって
・ソフト面:人の行動様式や人と人との関係性
・ハード面:建物の配置や景観など都市の空間的な構造

ソフト面の相違とは、ごく日常的な場面での人と人とのかかわり合い方について言及している。
世界のかなりの街の部分と対比すると、非常に顕著に、現在の日本の都市、とりわけ東京などの大都市圏において、当たり前に起こっている事は以下。

(1)見知らぬ物どうしが、ちょっとしたことで声をかけあったり、挨拶をしたり会話を交わしたりすることがほとんど見られないこと
(2)見知らぬ者どうしが道を譲り合うといったことがまれであり、また、駅などでぶつかったりしても互いに何も言わないことが普通であること
(3)「ありがとう」という言葉を他人どうしで使うことが少なく、せいぜい「すみません」といった、謝罪とも感謝ともつかないような言葉がごく限られた範囲で使われること
(4)以上のような中で、都市におけるコミュニケーションとしてわずかにあるのが「お金」を介した(店員と客との)やりとりであるが、そこでは店員の側からの声かけが一方通行的に行われ、客の側からの働きかけや応答はごく限られたものであること

特に気になっていた事は(4)の部分。
これって言及している人今までいたのか知らないのですが、やっと言及している人いたよ…この無機質コミュニケーション、私にはきつかったからなんで誰も何も言わないんだ…と思っていたのです。
貨幣を介した一方的な関係しか存在せず、とても無機質のようだということ。
だから「接客業」好きじゃないんだよね。無機質コミュニケーションのどこが楽しいのかわからないんだよ…って共感していました。
お金を介すからこそのコミュニケーション…

本の中で引用されている人類学者の中根千枝さんの『タテ社会の人間関係』(1967)でもこれまでの議論と同じような事が言われている。

「『ウチ』『ヨソ』の意識が強く、この感覚が先鋭化してくると、まるで『ウチ』の者以外は人間ではなくなってしあうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会に見られるようになる。(中略)実際、日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して実に冷たい態度をとる。(中根 1967)」

先日のエントリーでも書いたように
「We are シンセキ!」状態だと、みんな極端に優しくなる。否、「シンセキ」ではないとなると、極端に振る舞いが冷たくなる、のだと思う。

1967年の時点での言及があって、これまでも大して変わってない。
とはいえ震災のとき、それが一瞬崩れたように思うけど、結局そのときだけな気がしました。

あとは気になるものめも。

★関係性の進化
戦後の日本社会は農村から都市へと大移動を行いつつ、都市の中に「カイシャ」と「(核)家族」というムラ社会を作り、それらが経済成長という「パイの拡大」に向かって互いに競争する中でそれなりの豊かさを実現してきた。つまり、いわば“農村的な関係性を都市に持ち込む”ことを行いながらある時期まで一定の好循環を生み出していたのが戦後の日本社会だったのである。

★地域コミュニティ作りの主体

「地域コミュニティづくりの主体」に関する問い
「自治会・町内会」と「住民一般」が群を抜いて多く、ほぼ並ぶ。
次いで「行政」「NPO」の順で、後は学校、民間企業などと続く。
ただし、これについても地域間でかなり変化する。

「地域コミュニティづくりの主体として今後特に重要なもの」
大都市はNPOが多く、人口30万人以上の都市は自治会・町内会及び住民一般とならんで最も重要性が高い主体

データが著書の中にあります。
NPOが都心でどうしてこんなに発展してきたのか、今までの本の流れとこのデータでわかった気がする。

福祉地理学とよぶべきパラダイムの確立
「福祉」というものは、どちらかというと普遍的かつ“場所を超越した”概念としてとらえられる傾向がつよかったが、今後は「福祉」にいわば地理的・空間的な視点を導入していくことが重要ではないだろうか。

これからは「福祉」「環境」が主要関心分野として浮上してくる。
そう考えても、福祉・医療関連施設、公園、農村などをふくむ自然関連の場所が「コミュニティ」の中心となってくる。

★創造性の重要性
都市経済学者のリチャード・フロリダの著書の引用『クリエイティブ資本論』
文化やファッション、情報や教育・研究等を含めて今後は何らかの意味での“創造性”を伴った分野が資本主義の駆動因となり、かつそうした分野が集積した地域が人々を吸引する場所となっていく(フロリダ 2008)
→「クリエイティブなコミュニティの中心としての大学」がここでは議論されています。
日本のシブヤ大学などの例がとりあげられています。

また、高島平団地での大東文化大学の団地再生プロジェクトも取り上げられています。
今はみらいネット高島平という名称に変わっているようです。
団地の部屋のいくつかを大学が借り上げ、学生や留学生が居住するとともに、ボランティア活動など様々なコミュニティづくりの活動を行う試みの紹介。これは面白い。

★筆者の主張
現在のような時期を地域コミュニティ再構築のひとつのチャンスととらえ、公有地を福祉政策・コミュニティ政策・都市政策の有効なツールとして積極的に活用して行く事が重要
都市政策や街づくりの中に「福祉」的な視点を、また逆に福祉政策の中に「都市」あるいは「空間」的な視点を、導入することが必要。
ここでの「福祉」は広い意味。社会的要素(貧困・格差)や障害者高齢者へのアプローチの要素だけでなく、様々な世代のコミュニケーション、世代間の継承性の要素を広く含む。
 ★「持続可能な福祉都市」のイメージ
・高齢者等もゆうっくり過ごせる街
・歩いて楽しめる街(〜道路や交通政策のあり方)
・世代間のつながりや交流・コミュニケーション
・世代間構成のバランスや継承性(一世代で終わらない持続可能性)
・空間格差や社会的排除のない都市〜荒廃した空間の不在
・「事前的(予防的)対応」(含人生前半の社会保障)や「ストックの分配」の重視
・ケアの充実
・自然とのつながり〜「環境と福祉」の統合
・リサイクル、食糧・エネルギーなど環境面での持続可能性や一定の自立性
・経済の地域内循環の活性化

★日本社会における「新しいコミュニティ」「都市型コミュニティ」を作っていくポイント
(1)ごく日常的なレベルでの、挨拶などを含む「見知らぬ者」どうしのコミュニケーションや行動様式
(2)各地域でのNPO、協同組合、社会的起業その他の「新しいコミュニティ」づくりに向けた多様な活動
(3)普遍的な価値原理の構築

これはいろいろな切り口で考えられそうなヒントがいっぱいだった。良書。
引用されていた中根さんの著書はベストセラーのようで、新書としてまだ発売されているものらしいから、読んでみようかなと思いました。






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2011/05/03

[BOOK]シンプルライフで研究もうまくやる?-「シンプルに生きる」を読んで。

シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう
ドミニック ローホー
幻冬舎
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余計なものはもたないようにした方がいいよ!という本です。
最近まで「断捨離」が流行っていたように、物の整理整頓だけじゃなくて
「様々な整理整頓欲」が生まれているように思います。

正直、物を持たないようにしましょう!シンプルな生活を心がけましょう!という内容の本は、どこか精神論のような話がどうしてもでてきてしまう。
「わかっているけど、できないんだってば…」と思う人は絶対たくさんいるだろうと思う。(少なくとも私はそう)

しかし、その「わかっているけど、できない」を打破する特効薬がありました。

それは、「身近な人が実際に実行し、変化している姿を知る」ということ(あくまで「特効薬」です笑)。

プライベートな話なので、具体的な事は割愛しますが、
いつもお世話になっている社会人の先輩が、このシンプルライフでかなり変化したのです。

部屋のものは少なくなっているし、食べるものも変わったし、
何よりすごくきれいになっていたんです。体重7キロの減量らしい。
想像つくけど、効果の出ている人を目の当たりにするとびっくりする。
「できなかった」人が「できるようになっていた」って、すごく良い実例じゃないですか。

先輩はこの本がきっかけでシンプルライフが始まったわけでなく…
たまたま手に取った本が、身近な人がいつも言っているようなことばかり書いてあった。とのことで、紹介していただきました。
元々外国のベストセラー書なのに、先輩は「え、自分の仕事の先輩が書いたの?」と思ったくらい、同じ事が書かれてあった、とのこと。

というのも、先輩が最近どっぷり使っている業界はデザイン業界。
とってもスタイリッシュな人たちが多い業界なのですね。
この本に書かれているようなことを、いつも自分に言ってくる仕事の先輩の存在によって
先輩は劇的な変化をしていくのです。
(全員が全員じゃないかも、とはいえ)デザイナーさんって、自分の身体、身の回りの環境をすごく意識していて、そのジブン作り・環境づくりから、さらに自分の思考力や創造力を豊かにしているのかもしれない!
と、話を聞いて思ったのです。

同時に
それって、もしかして研究にも言える事なんじゃないか?とも思ったのです。

あの文献どこにやったっけ?
遅くまで研究して疲れがたまって、すごくキツいときに身体のメンテナンスができてなかったら一層辛いかも…
あのときのメモはどうしたっけ?
もし今火事が起こっても、この書類や雑貨は必要…?などなどなど

煩わしい事をできるだけ避けたい…
思いっきり研究したい!
そのためのジブン作り・環境づくりをしたい!と思ったのですね。
余計な事を考えず、より豊かな発想力を発揮したいし、より深い思考力を身につけたい。
研究にすごく重要なことのように思います。

「全然わからないー!」という煮詰まった状態って、実は身の回りの整理ができていない証拠なのかも、と思ったのです。
それぞれのものは、それぞれの場所に ・整理整頓は時間を節約し、記憶力を助ける ・良い仕事は清潔で整頓された環境から始まる
「物がないない…と探している時間が無駄。」
その時間にどれだけの事が考えられるか、と思うと、私の今までの無駄な時間を想像して恐ろしくなりました。

なので、先輩とこの本をキッカケに、私もシンプルライフを始めよう、と思ったのです。
実際に私が実証してやろうではないか!と。



この本は、物の整理整頓だけでなく、
住まいの環境
ファッション
時間管理
お金の管理
美容・食事
さらには人付き合いや自己管理までもシンプルに!
という考え方や実践が書かれてあります。

例えばクローゼットが整理整頓されてない私なんかにぐさりとささったのは笑

質の悪いものを買うから、その質を維持する事を気に留めながら、その質の悪い服を着続けなきゃならない。
それなら、質のいいものを気持ちよく身に付けた方が良い。という趣旨の事が書かれてあったところ。

これはお金のある人の思考だなぁと思ってしまったのですが、
言われてみれば、物を捨てないタイプのひとほど、古いものもずーっと持っているんだけど、悪くなっても捨てられないんですよね。

ってことで、「服、捨てよう」という結論にいたりました。
じゃないと新しい服をしまうスペースなんて、そもそもない!アホすぎる私…

「あなたが今、食べようとしているものは、身体の一部になる、という事を意識して食事をしていますか?」ということにも気を配るようになりました。
いつ、何を食べるのか、という部分も少しずつですが、気をつけています。




ページ数も多くない本なので、30分斜め読みして
気になるところだけまた読み返すというもので全然いいと思います。

ドミニック・ローホーさんは、この他にも似たような本をいくつか出しています。
「シンプルに生きる」んですから、
さらにドミニックさんの本を追加購入するってなると、
それはそれで、何も始まらない、のかもしれないですね。

最後にところどころ出てくる名言を引用します。


節約するために想像することは、華やかさを焚き付ける燃料である
ラルフ・ワルド・エマーソン

おのれを美しくしなければ、美に近づく権利がないからである
岡倉天心

「我々は我々の夢を織りなす織物によって紡がれている」
ウィリアム・シェイクスピア


ぐさりぐさりぐさり>自分。
整理整頓のキッカケにどうぞ。

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